朝礼ネタ110番<歴史編>
記事一覧
全65件中 1件〜30件
真田の家紋「六文銭」に込められた意味とは
2016年の大河ドラマ「真田丸」で、一躍有名となった六文銭。真田がこれを家紋とするまでには、どのようなエピソードがあったのでしょうか。
更新日:2017年01月25日
真田と井伊に受け継がれた赤備えは、なぜ赤なのか
2016年のNHK大河ドラマは真田幸村でしたが、2017年は井伊直虎が描かれることになりました。真田家も井伊家もそれぞれ武勇を謳われた戦国随一の精鋭部隊。 そしてその精鋭の象徴としての赤備えは余りに…
更新日:2017年01月25日
根回しで勝った関ヶ原。徳川家康の交渉術とは
明治時代、ドイツからやってきた軍事顧問が「西軍の勝利」と断言した関ヶ原。しかし勝利したのは東軍。いったい何が勝敗を分けたのだろうか?
更新日:2017年01月19日
井伊の赤鬼を育てた女城主井伊直虎の教育とは
新参者でありながら徳川家康の天下取りに大いに貢献し、後に徳川四天王と呼ばれるまでにその功績を讃えられた井伊直政。 関ヶ原の合戦後には石田三成の旧領、琵琶湖北東岸の要衝に加増されるなど家康の信頼を一身…
更新日:2017年01月19日
徳川265年の歴史を開いた孫の教育を憂慮する一通の手紙
関ヶ原の合戦(1600年)を勝ち抜き、その3年後には征夷大将軍に任ぜられた徳川家康は、ご存知の通り江戸幕府開府後に駿河に戻り、二代将軍・秀忠を後見するいわゆる大御所政治(1605年)を行なっていく。 …
更新日:2014年04月16日
いい国を作ろう鎌倉幕府! その成立ははたしていつなのか
以前このコラムで日本史の常識がくつがえる!と記したことがある。戦国の世を先駆けた齋藤道三はじつは父子二代にわたって美濃を平定し、縄文時代から稲作は行なわれていたなどなど、自分たちが学んだ日本史とは少々…
更新日:2014年03月19日
まさに不幸の星の子 結城秀康という生き方
時代小説の稀代のストーリーテラーだった隆慶一郎の代表作のひとつに『影武者徳川家康』がある。関ヶ原の合戦において西軍の放った刺客に徳川家康本人は暗殺され、とっさの判断で影武者・世良田二郎三郎が戦の指揮を…
更新日:2014年02月26日
“維新史の奇跡”坂本龍馬 その年少期は?
幕末における坂本龍馬は、司馬遼太郎にして「維新史の奇跡」と呼ぶほどに稀有な存在であった。本コラムでも記したことがあるが、白刃をふりかざし切った張ったのやりとりが志士のありようであったときに、大海に船を…
更新日:2014年01月08日
実力100万石を築いた長州藩官僚 その活躍が日本の歴史を変えた!?
幕末、いずれの藩も財政難に苦しんでいた。ところが長州藩だけは表高36万9000石にもかかわらず、実力は100万石以上といわれるまでに評価されていた。その秘密は、連綿と紡いできた藩官僚の優秀さにあったと…
更新日:2013年12月25日
本能寺の変の遠因となった信長のリストラ政策!?
佐久間信盛といえば、織田信長が家督を継いだ当初からの宿老(家老)であり、長きにわたり信長に抵抗した石山本願寺攻めの主将であった。言ってみれば織田家発展に尽くしてきた功労者といえよう。
更新日:2013年11月06日
陸戦の命運を決した大会戦の勝利はひとつの軍隊モデルがもたらした
奉天会戦とは、日露戦争最末期に行なわれた、陸軍の死命を決した戦闘をいう。都合24日間にわたって、両軍合計約60万にもおよんだ大軍の戦いは、世界陸戦史上空前の大会戦であり、世界の戦史に多大なる影響を与え…
更新日:2013年10月09日
立派な行列に涙する江戸官僚 だからこそ忠義を尽くす
赴任地に赴く江戸官僚は、立派な装備と格式ある行列をありがたく思い、涙したという。そして忠義を誓った。ひるがえって昨今の日本。豪華な海外視察だけがとりあげられるが、その根本にあるものは一体なんなのか。 …
更新日:2013年09月04日
大航海時代を制覇したスペインの没落の理由
大航海時代に「太陽の沈まぬ国」として名高かったスペイン、ポルトガルがなぜ急激に衰退したのか。そこには現代に通じる組織のありようがあった。
更新日:2013年08月07日
黒船来航が点火したアヘン戦争の危機感
幕末の志士の履歴を語るのに、「癸丑(きちゅう)以来」というひとつの枕詞がある。癸丑とは干支のひとつであり、ここでは1853年、嘉永6年をさす。いわゆる黒船来航の年であり、実質的に幕末の動乱がはじまった…
更新日:2013年07月10日
龍馬の死より150余年! はたして暗殺の黒幕は誰か?
慶応3(1867)年、11月15日、京都・近江屋で坂本龍馬が暗殺(即死)された。龍馬と密談中だった土佐以来の盟友である中岡慎太郎も致命傷を負い、2日後に絶命。この2人を暗殺した犯人はいまだに謎であり、…
更新日:2013年06月19日
土佐藩の礎を作った野中兼山の生き方
2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」で名を知られる山内一豊を初代藩主とする土佐藩の藩都であり、ここからは坂本竜馬、板垣退助など幕末の志士が巣立っていった。その土佐藩の礎を作りあげたのが野中兼山であ…
更新日:2013年05月22日
日本を土俵際から救った素人感覚
とかくいままでの常識にとらわれ、新しい意見・発想を取り入れようとしない姿勢を“頭が固い”“頑迷”などと呼ばれる。しかし“頑迷さ”ゆえに、日本の危急存亡に関わる大事となった戦いがあった。日露戦争時の旅順…
更新日:2013年04月24日
斎藤道三はふたりいた!? 次々とくつがえる歴史の定説
数々のすぐれた歴史小説を上梓し、多くのファンを獲得している宮本昌孝氏に『ふたり道三』という作品がある。道三とはいわずと知れた、戦国時代初期に油商人から身を起こし、守護・土岐氏を追いやり、美濃一国を手中…
更新日:2013年03月28日
世界でも先進的であった江戸のリサイクルシステム
リサイクル意識の高揚からか、たとえば外食企業などでは生ゴミを自ら集積。近郊の契約農家へと運んで肥料とし、野菜を作り、原材料として使用する試みが見られるようになった。これじつは、江戸時代におけるリサイク…
更新日:2013年02月27日
高杉晋作が実現した「草莽堀起(そうもうくっき)」という思想
1857(安政4)年、長州藩士でもある思想家・吉田松陰が、八畳一間という小さな私塾を開校した。世に名高い「松下村塾」である。それは鎖国から開国へと、日本中が混乱しているさなかのことであった。
更新日:2013年01月23日
情報の共有化が根底にあった日露戦争の勝利
1904年に日露戦争開戦。開国後の日本の進路を決めたともいわれる近代戦争であったが、日本が勝利を収めた要因のひとつには、共有された情報・危機感があった。
更新日:2012年12月12日
歴史に登場する3つの人物像
幕末史を彩る英雄、西郷隆盛。しかし彼の存在をはなから認めない人物もいた。歴史回天時に登場する人物像は、段階を追って変化してくる。西郷は、維新は為しえたがそれ以降は不必要な人物像だった…。
更新日:2012年11月14日
江戸時代、盗人たちも押し入るのを避けた飲食業
時代小説に出てくる盗人たちが押し入るのは、問屋などの大店ばかり。飲食店は、サブアイテムでしかない。産業化されにくい業種、それが飲食業だったのだ!?
更新日:2012年09月26日
三成・家康に見る「正義とは力なり」
学生時代に「法学」を受講したさい、いきなり教授が「正義とは何か」をテーマに答えを求めはじめた。多数の学生が思うところを述べたが、私はただひと言、「正義とは力なり」と回答した記憶がある。それはまさにその…
更新日:2012年06月06日
生き方の戦国時代、自らを引き上げる主家とは何か
動乱の戦国の世には、自らの環境条件を抜け出す自由さがあった。そして現在、私たちの主家たるものは、個人がもつ思想・価値観にある気がしてならない。
更新日:2012年05月16日