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「生きザマとしての仕事」に命をかけた若者がいた!

更新日:2005年10月06日

ニートをはじめ若年層の勤労意欲低下が社会問題化して久しい。時代を少し遡って、文字どおり命がけで仕事に取り組んだフリー戦場カメラマン・一ノ瀬泰造(享年26歳)に、仕事というものの素晴らしさ、厳しさ、深さを見た。


 
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世界で一番危険な場所

2005年のいま、若年層が仕事に就かない、定職に就かないと社会問題化している。仕事に対する距離感がとりにくくなっているのだろうか。30数年時代を遡って、仕事の通念を超えて、自分の生きザマとしての仕事に命をかけた若者の話。

1970年代初頭、フリー戦場カメラマンとして動乱のインドシナ半島に散った一ノ瀬泰造。当時、世界中の戦場カメラマンにとってもっとも栄誉ある撮影対象であり、同時にもっとも撮影困難といわれた、「アンコールワット」を狙った。アンコールワットの写真には、当時の価格で2万ドルの値段がついており、このことはここが世界一危険な場所であったことを意味する。

47年佐賀県武雄市に生まれた一ノ瀬泰造は、日大芸術学部写真学科を卒業後、UPI通信社に勤務。72年、カンボジアでフリーの戦場カメラマンとなる。ベトナム戦争の取材ではワシントンポストなどマスコミで活躍した。73年11月、単身アンコールワットを目指して出発。その後消息を絶ち、82年両親により死亡が確認された。

カンボジアは、第2次世界大戦後独立を果たしたが、隣国ヴェトナムとの民族対立や東西冷戦による大国間関係により政治的混乱状態にあり、現在では観光名所として名高いアンコールワットだが、一ノ瀬が撮影を試みた当時は世界一危険な場所だった。

70年にロン・ノル将軍がクーデターを起こし、国家元首シアヌークを追放、米軍の援助を受けるが、同年6月には解放軍(クメール・ルージュ)がアンコールワットを占領し、解放軍の聖地となっていた。そこへ政府軍が大攻勢をかけており、そんななか撮影に潜入した一ノ瀬もおそらく道なかばでクメール・ルージュに人知れず撲殺されたと思われる。

就職する会社を選ぶ、起業などの節目でなくとも、日々の仕事では誰しもリスクを背負うわけだが、彼らフリー戦場カメラマンのリスクは死である。それを象徴するのが、アンコールワット潜入直前の本人の言葉。
「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!」(講談社文庫「地雷を踏んだらサヨウナラ」より)。

会社員のように月給、残業代、ボーナス、退職金などという保証は何もない。そのうえ、命がけで撮った写真は、通信社がネガごと安く買い叩く。うまくいけば世界中に自分の写真が配信されるが、通信社名義でである。そして失敗すれば死が待っている。

「なぜ? そんな危険を冒してまで仕事を」は愚問だろう。仕事をしない若者もいれば、仕事で自分の生きザマを体現する若者もいる。彼と同業のフリー戦場カメラマンが、「戦場カメラマンは職業の名前ではない。生きザマ、そして死にザマ」といっていた。一ノ瀬泰造の仕事ぶりに触れて、深慮するほどに「仕事」が大きく、大切なものに見えてくる。

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