中国人との付き合い方
更新日:2010年07月13日
資本主義は、大量に物を作って、大量に消費することによって成り立つ社会です。経済が成熟すると、物は行き渡り、消費が停滞します。必然、世界の目は中国市場に向かい、日本企業もその例に漏れません。
日本でも中国市場をビジネスチャンスとして捉え、多くのビジネス書が発刊されています。一般的なことはそれらの書に譲ることとして、中国ビジネスのもう一つの面、「宴会」について述べてみたいと思います。
中国の人治主義
中国は、良くも悪くも「人治主義」の国です。人との繋がりを無視しては、うまく行くものもうまく行きません。そして、一度関係が出来てしまえば、数億円のお金ですら、借用書無しで気前よくポンと出すのも中国人です。
人との関係を築くもの。古今東西を問わず、「お酒」を抜きにしては語れません。日本では、重要な会議の前には根回しをするのが通例ですが、中国では宴席でそれが行なわれます(★は、「添」のサンズイを舌に換えた漢字)。
「交情浅★一★、交情深一口悶、交情鉄喝吐血」
日本語に訳すと、
「交わりが浅ければ、ちょっと嘗めるだけで盃を置く。交わりが深ければ、一口で飲み干す。そして交わりが鉄のように固ければ、血を吐くまで飲み続ける」
となります。中国側の人は、その人が自分たちとどの程度の関係を築きたいと考えているのかを、飲み方で判断していると言っても過言ではないでしょう。
「乾杯、乾杯」の宴会を乗り切った翌朝、相手先に出向いてみると、捺印された契約書がすでに置いてあるということも、過去何度もありました。その逆に、面会すら許されなかったこともあります。
お酒に対する考え方の違い
お酒、特に酔っ払いに対する考え方も、根底から違います。
「酒後露真情、酒後吐真情(酒を酌み交わしてこそ、初めて人は心の底を打ち明けるものだ。本当のことは、お互い酒を飲んだ上で話し合わないと分からない)」
ここから分かるように、中国では酔っぱらった姿がその人の本当の姿だと考えます。欧米では、公の場で酔った姿を見せる人間は信用されないと言われていますが、中国人の考え方もこれに通じるものがあります。
一方で日本では、「お酒の上のことだから」と、酔っ払っての痴態も大目に見る傾向にあります。酔っ払ったサラリーマンが管を巻いている姿は、一種の風物詩と言ってもいいでしょう。
「不打不成交」
一般的にお酒に弱いとされている日本人から見て、中国人の酒量は底なしのように見えます。しかし、中国人は中国人で、お酒に酔わないための工夫を行なっています。
一つは、よく食べることです。
もう10年以上前ですが、初めて宴会に出席した際、一緒に出席した日本人はみな宴会の途中で床に転がっていました。辛うじて意識を保っていられた筆者に対し、同席した中国人が言った言葉は、当時の日記にしっかりと記されています。
「君たちは飲みながら食べているだろう。だから酔っ払って、意識不明になったりするんだ。我々は、食べながら飲んでいるんだよ」
それ以来、「食べながら飲む」を心がけるようにしていますが、酒飲みの友人や親族から「お前は本当の酒飲みじゃない」とからかわれたりもしています。
次に、ビールならビール、白酒なら白酒と決めて、終始一貫同じ種類のお酒だけを飲むことです。
日本人のように、ビールで乾杯して、次に焼酎、次に日本酒などと、一回の宴会で複数の種類のお酒を飲むことは、「身体に悪い」と言って嫌がりますが、これも酔わないための工夫でしょう。それが証拠に、「ここは日本だから、日本式の飲み方をしよう」と言って中国の友人に飲ませたら、あっという間に眠ってしまいました。
そしてもう一つは、頻繁にトイレに立って、戻していることです。同席している中国人に聞いても首を縦には振りませんが、宴会場でトイレに行くと、必ずと言って良いほど誰かが戻しています。
かつてのギリシアでは、美味しい物をたくさん食べるために、お腹が一杯になったら戻して、更に食べるという習慣があったと聞きます。
中国の場合、食事を堪能するということももちろんあるのでしょうが、それ以上に、同席した相手と心ゆくまで飲み、本音で語り合うことを目的としているように感じられます。
「不打不成交」
ビジネスでも、プライベートでも、お互いに本音をぶつけ合って、初めて深い関係が築けるのですから。
|