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営業に外交のセンスを! 北方領土返還交渉の真相

更新日:2007年09月06日

みなさん、隣近所の方々とのお付き合いは良好ですか?
今日は、外交というものについて考えてみます。会社によっては、営業のことを「外交」という場合があります。通常は国と国同士の付き合いのことを指す言葉ですが、隣近所との付き合い、会社同士の関係という営みに通じるものだと思います。


大国を隣人にもつ日本の外交

外交は、大まかな意味で次のような内容に沿って行なわれるのだと思います。
第一に、自国の主権と自国民の安全、国益を守るために近隣諸国へ働きかけること。
第二に、国益を長期的に守るために、相手国、特に近隣諸国との安定的な関係を作り、そのためにときには相手国の国内的な政治的・経済的安定のために内政干渉にならない筋道と範囲でサポートを実施する手立てを講じること。

政府開発援助、いわゆるODAも相手国の安定的発展を通じて日本の国益にとってもよい国際環境を作るために行なうもので、いわば経済援助という形で安全保障の実現を図っています。ところで、日本の外交は、明治以来たいへん難しい条件の下で展開されてきました。というのは、家でいえばすぐ近くに大きな力をもったお隣さんがいるからです。ロシアと中国です。

日露関係における前世紀からの懸案=北方領土返還問題

ロシアと中国とは、20世紀以降とかく日本と国益の衝突が繰り返され、戦争も発生してきました。とくにロシアとは、ソ連時代に北海道の一部である4つの島を中心としたいわゆる北方領土を終戦のどさくさにまぎれて不法占領されてから、その返還が懸案として残されています。

複雑だったのは、戦後、同盟国となったアメリカからは占領された沖縄や小笠原・奄美諸島の返還が実現できたのと裏腹に、日米同盟と敵対する相手になってしまったソ連からは占領された領土の返還が困難な状況になったことです。

このことと絡んで、戦争が終わったのに「領土問題」(戦後処理問題)の解決の目処が立たないため、日露間には平和条約が締結されていないままなのです。

こうした状況がよいわけがありません。戦後、日本の外務省や政府首脳たちはさまざまな局面で北方領土返還と平和条約締結に頑張ってきました。しかし、共産主義という日米とは異なる価値観に基づく社会制度を形成し、軍事的にも対立していたソ連は、日本の要求にやすやすと応じません。

双方の主張も、日本が「4つの島の占領は、連合国が表明した領土不拡大の戦後処理原則や日本に勧告したポツダム宣言に反するもので、一括して返還されるべき」といえば、ソ連は「日本との間に未解決の戦後問題などない」とやり返す始末。

それでも、1956年、日ソの国交正常化を実現した共同宣言の際、「話し合っていく」と合意したことがわずかながらも日本が北方領土返還を要求していく足がかりを残したものとして、重要な成果だったといえます。

外交にとっても重要な人間的信頼関係

じつは、この話を私がするきっかけになったのは、元外務省の欧亜局長だった東郷和彦さんが最近書かれた『北方領土交渉秘録』(新潮社)を読んだことです。東郷さんは著書で「領土返還実現へ前進する5回の機会が失われた」と記されていますが、興味のある方はぜひ読んでみてほしいと思います。

東郷さんは、30年以上にわたって対ソ、対ロ外交の最前線にいた方ですので、ソ連時代からの北方領土返還をめぐるやりとりの記述は、極めてリアルです。このなかでとても印象的なのは、おそらく北方領土返還と平和条約締結がもっとも近づいたボリス・エリツィン大統領時代の1997年、時の故・橋本龍太郎首相を先頭に日本外交が追求したのが、「首脳相互の人間的信頼関係の形成」だったということです。

東郷さんによれば、それまでソ連時代を通じて、その交渉では、双方が自分の主張を繰り返すばかりで、進展がなかったといいます。それでも、外務省のソ連対策チームは、相手国の事務方と非公式折衝やそれ以外の機会を作った人間的交際のなかで信頼関係を作り、北方領土周辺での漁業交渉や墓参などの人道的処置について少ないながらも前進をかちとってきていました。

こうした経験をふまえ、ソ連崩壊後、新たに登場したエリツィン政権に対して、ともかく日本の主張を伝えるために首脳会談を行なうのではなく、信頼関係を作るためのフランクな話し合いをするために日本の首脳が訪問するという働きかけをしました。

橋本首相は、エリツィン大統領がシベリヤのクラスノヤルスクを視察したタイミングに合わせて現地で会見し、一緒にサウナに入るようなプライベートな付き合いまでして両国をめぐる問題を率直に話し合い、ロシア国内の問題でも日本がサポートできることを積極的に提案しました。両首脳は、お互いに「リュウ」「ボリス」と呼び合う友人関係にまでなったといいます。

こうした関係のなかでエリツィン大統領の心が開かれ、その後、「日本を核ミサイルの照準から外す」という発言を引き出し、とうとう「2000年までに平和条約締結を図りたい」とまで言明させたのです。1998年春に実現した大統領の訪日の際は、日本人の対ロシア悪感情の大きな要因であった60万人以上の日本人を強制労働させたシベリア抑留について、三度にわたって謝罪する発言も大統領から行なわれました。

残念ながら、エリツィン大統領以後の北方領土問題解決の動きは、まったく頓挫した状況です。しかし、半世紀以上の取り組みのなかでもっとも解決に接近した時期の最大の教訓が、首脳当事者同士の人間的信頼関係の深まりだったということは今後も忘れられてはならないことだと思いました。

私たちも、しばしば会社を代表して他の会社や組織の方々と交渉することがあります。会社同士、あるいは組織と組織との付き合いかもしれませんが、これを担っているのは生身の人間同士だということを常に思い起こすべきでしょう。利益がぶつかる相手だとしても、先様の担当者や責任者とどう人間的信頼関係を築き、深めていくか。私自身、ここがカギなのではと思っています。

文:軍事ライター 古是三春

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