仕事を失って見えた「初志貫徹」の道
更新日:2011年04月06日
※月刊WizBizバックナンバー(2011年3月号)よりお届けいたします。
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年初に今年の目標を立てた人は多いだろう。私は年末に始めた大掃除がいまだに終わらず、年初は目標まで思いが回らなかった。とはいえ当初、手をつけるのが怖かった掃除の終わりが見えてくると、心が変化した。
片付けを始めた頃の雑然とした心がきれいに片付き、新年の目標が見えてきた。年が改まって時間はたったが、振り返ると2010年はいろいろなことに「ひと段落」ついた年だったとも気づく。
長年務めさせていただいた朝のテレビ番組のレギュラーコメンテイターがひと段落。雑誌の連載もいくつか終了し、いわゆる仕事の谷間と言える時期になった。
正直、テレビのレギュラーが終わるのは、ことに寂しい体験だった。当初は「人生のギフト」とでも言うような気持ちで始めたのだが、出てみれば作家生活にはない華やぎを体験できるのがテレビだ。それが終わると、明るい陽光の中から急に暗がりに入ったかのようだった。心が光を見失い、暗がりに落ちたような気持ちになってしまった。体調が悪い中、頑張ってきたこともあったので、喪失感にへこまなかったといえば嘘になる。
だが走り続けてきた毎日から減速して立ち止まってみると、見えてくるものが随分あった。「忙しいままで原稿整理もせずにきてしまった。これは人生と作家生活を棚卸しするチャンスかもしれない」││。そう思って掃除を始めると、自分の人生でも創作においても、手をつけられないまま、放ってきたものがどれほど多いか、気付いて唖然とした。
「そうだ、私は漫画家なんだ。今はレギュラーがないけれど、漫画家として人生をまっとうしたい。それならもう一度デビューするつもりで作品を描くしかないではないか」
部屋が片付き始めた今、心が決まり、仕事を失った喪失感から私は立ち直っている。
私は20年以上前、漫画家を志した時の目標の数分の一もまだ叶えていない。一作一作、自分なりに全力投球してきたが、まだ納得できる作品は描けてない。時間ができた今こそ頑張らなくてはいけない。
文章での表現に関しては、ずっと書きたかったテーマで書かせていただくところにたどり着いた。こちらは仕上げるまで、最良の状態で取り組みたい。
全力を出し切れるよう頑張るには、仕事を失ったことを悲しむどころか、生活スタイルも持ち物も人間関係も、もっとそぎ落とさねばならないことに気づいた。
これから新しく試みる、一枚絵と作詞、CD制作も同じだ。それらをさらによいテンションで創作していくには、山にこもるくらいの気持ちでなくてはできない。
そうなると、戦うべきはもはや自分でしかない。残りの人生でどれだけやれるのか。どれだけの時間と体力が残されているのか。いかに寄り道をせずに、初志貫徹したらいいのか──。
人生は思いのほか、短い。若い頃はいくらでも時間があるような気がするが、結局何もできないまま中年や壮年を迎えてしまう人が多いのではないか。
それでも「まだ何もできていない」と思えたなら、それは初志貫徹のために人生を見直すチャンスだ。私は今年から、日程表の埋め方を変えた。
以前は、日程表が先のほうまで真っ黒になっていれば安心しているようなところがあった。だがそれでは、初志から外れてしまうことが多い。
私は今年から「目標達成のためには、いつまでに何をすればいいのか」を予定にすることにした。すると先々の予定など真っ白になった。大事なことを優先すれば、そうなるのだろう。そしてそうすることでしか、初志貫徹の道筋はつくれないのだ。
著者プロフィール |
さかもと未明 「さかもと未明の和みカフェ?」 |
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