裸の心で得る縁
更新日:2011年03月09日
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※月刊WizBizバックナンバー(2011年2月号)よりお届けいたします。
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「どうしたら自分を理解してもらえるのだろう」──。
レディースコミックという官能をテーマにしたマンガを描いていた私は、長く悩み続けてきた。性を真摯に表現していたつもりだったが、マスコミで取り上げられるのはその過激さばかり。
そうでない側面も表現したくて文章を書き始めたものの、今度は「本人はそんな人間ではないはず。欺瞞だ」などと批判され、書くほどに誤解が広がるようなところがあった。
ビジネスの現場でも「正当に評価されたい」と思いながら、うまくいかないことは多いのではないかと思う。日常での交友においてさえ、それは本当に難しい。
私自身、よく思われたいと思った方には、妙に力が入りすぎて、かえって警戒されてしまった体験がある。
それでも思わぬところで自分を好意的に見てくださる方もいるものだ。そういう経験を積み重ねていく中で学んだのは「人が自分に好意をもってくださるかどうかは、浅はかな小細工で何とかなるものではない」ということだった。
その上で、私が心がけていることは、相手の地位や年齢や知名度、自分の仕事に対するメリットの有無にかかわらず、誰にでも同じように敬意を持ち、出会いを大切にしたいということだ。
名刺をくださる方には必ずお礼状を出す。いただいた連絡には必ずお返事をして、あいまいな約束はしない──。
これが意外と難しいのだが、自分もコンサートなどを主催するようになってわかった。誘いを受けて返事をしなかったり、「行くかも」と言っておいて行かなかったりすることが、どれだけ相手を悲しませることか。相手は「もしや」と思って必ず席を取っておき、気を揉んで待っていてくれるのだ。
そんな当たり前の小さなことの積み重ねが、時に思わぬ道を開いてくれる。細かい努力を認め、信じてくださった方は続けて連絡をくださるし、その方の大切な方に、確かな紹介をしてくださる。
そうして得た紹介は、名刺一杯に書かれた実績や肩書きにも勝る力を持つと思う。そのような体験から、私は自分が出会う方が、どんなお心持ちの方なのか、約束を守ってくださるのか、何を大切になさっているのか、そういうところに興味を持つようになっていった。
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著者プロフィール |
さかもと未明 |
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