上海初の国際病院ではJCBのクレジットカードが使えない
〜莫邦富的視点〜21世紀の大国・中国を見つめる〜
更新日:2016年05月11日
中国へ月に2往復ペースで出張をしている筆者。先月の半ば頃、PM2.5にやられ、猛烈な咳に襲われたという。逃げられるものなら、逃げたいと思ったが・・・。
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PM2.5にやられてしまった
この頃、仕事関係で中国への出張が増えている。まだ数年前の月に3往復の状態にはなっていないが、月に2往復の状態が最近、続いている。移動の激しい旅やハードスケジュールになれているはずなのに、先月の半ば頃の中国出張でPM2.5にやられ、猛烈な咳に襲われた。日本に戻り、常備の薬などで対応して、何とか回復し始めたところ、また会議のため、中国出張に行かざるを得なくなった。そのとき、さすがに中国の空気汚染に怯えた。本心では、逃げられるものなら、逃げたいと思ったが、大人の世界なので、そうはいかない。
そうしたら、上海の浦東国際空港を出て10分間も経たないうちに、また、見事にPM2.5にやられ、回復状態になっていた体が猛烈な咳に苦しんだ。会議中はのど飴やお水で一生懸命咳を止めようとしたが、それも完全に失敗し、会場に私の咳をする声が響いた。本来、あいさつをすべき会議後の夕食会にも顔を出さずに、さっさと上海の実家に逃げ込んだ。
その夜は肺を吐き出してしまいたいほど猛烈な咳に襲われた。深夜12時過ぎなのに、航空会社に電話して翌日の便で中国を脱出したいと助けを求めようという衝動にまで駆られた。
JCBカードは存在感なし
何とか一夜を明かしたのに、仕事の会合がセッティングされているので、完全に弱まった体に鞭を打って、会合の場に駆けつけた。昼食後、家に何とかたどり着いてから、もうだめかと思うほど、咳がますますひどくなってしまった。
急いで病院に行く手配をして、実家に近い浦東の東方国際病院に駆けつけた。中国の病院の世話になるのは30数年か40数年ぶりのことだ。
東方国際病院は2003年にできた上海最初の合弁による病院だ。出資者は上海東方病院とアメリカの健康管理専門の会社だ。ベッド数が51もあるこの病院の医師も看護師も英語で対応できる。言うまでもなく医療費なども国際並になっている。
お医者さんに診療してもらったあと、諸費用を支払いに行ったとき、思わぬハプニングが起きた。今度の出張は日本航空を利用したので、私の日本航空のJCBクレジットカードを支払いに出した。しかし、窓口の女性はそのカードを見るなり、ノーと首を横に振った。
一瞬、私はその現実を信じられなかった。2007年、永住者を除く上海在留日本人数ではニューヨークを抜いて最大となり、2010年に戦後初めて5万人台を突破した。そして、12年には約5万5800人に達した、と言われる。その後、減少傾向にあったが、それでも14年10月時点で約4万3000人を維持している。
日本人が大勢居住しているこの町で、なんとJCBのクレジットカードが使えないのだ。再度、確認してもだめだった。ならば試しに読み取ってみてください、と窓口の女性に頼んでみた。その辺では、私はもう患者であることを忘れて、完全に取材モードにギアチェンジしてしまった。女性は、試す必要はない。毎日、こういう仕事をしているから、使えないことぐらいは間違えないよ、と頑として応じてくれなかった。
JCBはなぜ、ここまで存在感をなくしてしまったのか? 私は驚きながら、その厳しい現実を受け止めざるを得なかった。そこで全日空のVISAクレジットカードを差し出して支払いを済ませた。そのとき、心の中では、日本に戻ったら、JCBさんにこの辺の事情説明をしてもらおうか、と思っていた。
著者プロフィール |
莫 邦富(Mo Bang-Fu) |
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