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そのとき伊藤博文は、どうしたか
歴史のひとコマから、生き方、経営、ビジネスを学ぶ

更新日:2007年12月13日

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人間、人生の中において一度はのるかそるかの大博打をうたねばならぬ時がある。明治の元勲として名をとどめ、初代総理大臣ともなった伊藤博文にも、その時があった。

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俗論派で占められた長州藩政権

伊藤は、長州下級武士の出身。吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作、井上聞多らと倒幕運動に加わった。22歳のときには、長州藩の代表として秘密裏にイギリスに渡航。しかし四ケ国連合艦隊による長州藩攻撃が近いことを知ると、井上聞多とともに急ぎ帰国し戦争回避に奔走する。

当時長州藩は攘夷派の総本山のような立場にあり、諸国との戦争を回避に奔走した伊藤は、井上、高杉晋作と共に藩内外から自らの信念を曲げて外国列強に与したと批判をされ、命をつけねらわれることになる。

四ケ国戦争の後、長州藩は正義派と呼ばれる攘夷推進政権が倒れ、俗論派と呼ばれる幕府恭順政権が発足する。時おりしも幕府が第一次長州征伐の陣触れを出し、幕府軍以下26藩が長州に攻め入ることとなる。恭順政権は、攘夷を推進した重臣を処刑するなど徹底して幕威の前にひれ伏す体制をとる。

当時長州藩には、諸隊と呼ばれる軍事部隊があった。高杉晋作が作り上げた奇兵隊、諸藩の脱藩浪士が集った遊撃隊、力士が集った力士隊など、身分制度にとらわれない武士階級と農民や町民が混合された部隊だ。武士が主体となった正兵と区別され、かつ長州藩内にて一級の武力を備えていた。

しかし恭順政権の前に動きをとることができず、諸隊は事態の推移をただ見守るしかなかった。このままでは恭順派の思いのままとなり、攘夷の火は潰えるかと思われた時、暗殺の危険から藩外に逃亡していた高杉晋作が帰藩。奇兵隊を軸にクーデターを起こし、一気に情勢を挽回しようとする。

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