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戦国武将が見せた活性化推進の採用術
歴史のひとコマから、生き方、経営、ビジネスを学ぶ

更新日:2012年09月05日

戦国の名将、加藤清正。たんなる武闘派だけではなく、築城・治世にも腕を発揮した。視野の広い人材登用で家中の活性化にも成功している。
 


 
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視野の広い先の見通せる人物、加藤清正

戦国時代の名将に、加藤清正がいる。秀吉子飼いの小姓から身を起こし、賤ヶ岳の合戦で七本槍のひとりとして武勇をとどろかせ、さらには朝鮮出兵で名を馳せ た。有名な虎退治の話も、朝鮮出兵の頃のことだ。人格ともあわせ、同時代に数多いた武闘派大名の筆頭格であった。

一方で築城術、治世に長けていたことでも有名である。肥後熊本に領国を得てからは、名城として名高い熊本城の設計から監督までを成し遂げた。この熊本城、 西南の役のさい薩摩より北上しようとする西郷隆盛の軍勢の攻撃を受け、守る政府軍が49日間にわたって篭城しきったことから、加藤清正の築城術の腕が評価 された。

しかも城内に植えた銀杏の木はいざというときのための食料用として、また大広間の畳には、井草の替わりに芋蔓やカンピョウを使ったという。これも非常用の 食料としてだ。城下を横断する街道には、20キロメートルにわたって火災時の対策のため杉の木も植えたという。加藤清正が視野の広い先の見通せる人物で あったことが伺える。

いま必要な人材像を採用する


さてこの清正、人身掌握術でも秀でた部分があったようだ。肥後熊本にも加藤清正の名を慕って多くの浪人武士が仕官を求めてやってくる。たまたま老人、中年、青年の3人の武士、が同時期に清正以下側近の面談の機会を得ることができた。

面談後、側近達は言葉のはしばしに有能さをみせた青年武士を登用しようとする。しかし清正の目は違った。老人の長く経てきた経験と、中年のヤル気を買いた いというのだ。そして「青年武士はどこの家にいっても通用する。あの青年を優秀、有能というのなら当家の青年武士は腐ってしまうぞ。当家の青年武士は優秀 である」と喝破した。

実際に登用された老人、中年武士はそれぞれの持ち味を発揮し、家中に大いに刺激を与え、活性化の推進役となった。というように、企業においてもともすれば青年の未熟ではあるが有能さに目がひかれ、登用・採用することも多いに違いない。

それはそれでいいのであるが、自身の経営する企業の状況によっては、それがまた有害となるケースもあることを頭の片隅にとどめておくべきであろう。老人の知恵・経験、中年のヤル気が必要とされる場合も往々としてあるのである。

ちなみにこの加藤清正、恩顧のある豊臣家と徳川家と和解を図ろうとしたことにより、時の政権にうとまれ、毒殺されてしまう(と、池波正太郎や隆慶一郎の作品にでてくる)。優秀であるがゆえに、逆に恐れられたとは何時の世も同じ原理である。