明治維新を形にした技術家・大村益次郎
歴史のひとコマから、生き方、経営、ビジネスを学ぶ
更新日:2007年11月01日


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以前この稿で、歴史の段階によって登場する3つの人物像について記したことがある。これは稀代の歴史小説家、司馬遼太郎が述べていたことなのだが、すなわち思想家、革命家、技術家である。
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「大村は機械のようなものだ」
革命を成し遂げひとつの形となすときに必要となるのが、技術家だ。幕末から明治維新にかけての軍政においては、日本の歴史は大村益次郎という畢生の技術家を得た。彼の登場がなかったら、薩摩・長州を中心とした官軍は、圧倒的な軍事力をもつ徳川幕府軍に抗うことはできなかったであろう。大村は、それまでは藩ごとの軍組織であったものを、明治政府の誕生とともに、たったひとりで国家の軍組織として創生したのである。
彼の凄みは、自分自身がそのような役回りであることを自覚していたこと。官軍が京都から江戸に攻め入ったとき、実質的な将はかの西郷隆盛だったが(事実、江戸城無血開城は彼の独断で行なわれた)、後から江戸に入った大村は、何もいわずに指揮権を自分のものとしてしまった。
大村にすれば西郷は空気のような存在であり、無用の長物。旧幕軍との戦いに勝利するためには自らが指揮をとるしかないと定めていたのである。敵として存在した勝海舟にして「大村は機械のようなものだ」といわしめたとおり、大村は、西郷やその周囲で西郷を信奉する者たちの感情は一切考えなかった。
新聞予定稿とおりに進んだ彰義隊攻撃
徹底した合理主義者であった大村の真骨頂は、彰義隊との戦いにある。幕府瓦解後、上野・寛永寺一帯に立てこもった彰義隊に対し、大村指揮下の官軍は、1868年5月15日に満を持して攻撃を開始する。
事前に戦法を考え抜いた大村は、攻撃の2日前には、当時発行していた新聞に彰義隊攻撃の予定記事を作成した。そして驚くことに、攻撃当日は書き換えることがないくらいに、計算どおりに戦いは推移していった。
江戸城で戦いの趨勢を見守っていた参謀たちが、官軍寡兵につき戦いの行く末を心配し、大村に夜襲がよかったのではと進言していたとき、やにわに時計を取り出した大村は「もう決着のつくころです」と。事実そのとき上野方面に黒煙があがり、彰義隊の撤退がはじまったのである。


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