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演出は女房! 夫の二心なき行動が大名へ
歴史のひとコマから、生き方、経営、ビジネスを学ぶ

更新日:2011年12月14日

2006年のNHK大河ドラマは『功名が辻』。戦国の世を生き抜き、土佐藩24万石の創業の人となった、山内一豊(伊右衛門)とその妻・千代の物語であるが、視聴率はまずまずであった。当時不祥事が続いていたNHKも、まずはほっとしているのではないか。
 


 
一豊の純粋な芝居が24万石の土佐藩を創業した
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妻・千代の手紙をそのまま差し出す

歴史上山内一豊の評価は地味で凡庸。24万石はおろか、大名になる器ではない。ではその出世をどう勝ち取ったのか。それは妻・千代の才覚とともに、イメージに合わない見事な役者ぶりが功を奏している。

天下分け目の関ヶ原の合戦は、徳川家康が諸将を引き連れ、会津の大身・上杉景勝を討伐するために東進したことからはじまる。一軍が栃木県・小山についたこ ろ、大阪での石田光成の挙兵を知る。しかし挙兵したとの知らせは次々と入ってくるのだが、どれも不正確で大阪のようすがはっきりしない。大阪には諸将の家 族がいて、その安否を誰もが気遣っていたのだ。

その状況下、一豊は真夜中に家康の本陣を訪れた。「もう就寝された」との家康側近の申し伝えに、一豊は徳川家存亡の知らせといいつのり、伏して家康との面 会を強要する。身だしなみを整え現われた家康に、一豊は1本のこよりを差し出した。聞けば大阪にいる妻女・千代からの手紙だという。

請われるままに家康が開いてみると、大阪のようすをくわしく知らせ、自分(千代)の身はどうなってもいいから家康に忠誠を尽くすべきことをしたためられた書状であった。

他人の意見を自分の意見に

一豊にすれば、妻を見限る覚悟で家康への忠誠を誓い、しかも開封せずに家康に手渡すという行為で、自分に二心がないことを家康に表明したのだった。諸将の 動向をつかみきれていなかった家康は歓喜し、この千代からの手紙を開封もせずに差し出した一豊の覚悟を陣中に広く知らせたという。

直後家康は諸将の意見を聞くため招集する。世でいう“小山軍議”だ。家康は「各々のなかには豊臣家恩顧も数多い。大阪に戻りたいものがいればとめはしない」というが、誰も言葉を発しない。

そのとき一豊は「領国・掛川をかねてからたくわえていた兵糧、一族郎党、家族ともども家康公に預ける」と、家康への城渡しを表明。忠誠を誓った。この発言 で大勢は決定し、諸将がなだれをうって誓書を提出したという。ただしこの一豊の言葉は、もともと隣国の浜松城主・堀尾忠氏の考えであった。会議前に忠氏の 意見を聞いていた一豊は、あたかも自分の発案のように発言し、家康の、さらには諸将の心を捉えてみせたのだ。

関ヶ原合戦の後、家康がその子・秀忠と諸将の功績を論じたとき、「山内一豊の忠節は木の本なり」と評価し、後日一豊は土佐24万石の大大名へと抜擢され た。この山内一豊の出世物語、もちろん作・演出は妻・千代となるだろうが、演出家の言葉を純粋に受け入れ演じきった一豊も、たしかに見事ではある。少なく とも二心なき行動が、これの価値を高めていたのである。