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第5回 吉田 浩氏(株式会社天才工場 代表取締役)【前編】

更新日:2017年07月11日

「出版業界のジャイアン」と呼ばれる、業界No1.出版プロデューサー吉田社長のインタビューです。自ら200冊を超える童話、ビジネス書を執筆しながら、33年間で1900冊の本を世の中に送り出しています。 吉田社長が「本」というテーマを追求するようになったきっかけ、出版プロデューサーまでの道のり、そして今後のビジョン等も語っていただきました。本の出版を通して、800名の経営者と接してきた吉田氏だからこそ語れる「成功者の共通点」、ぜひお聞きください!
 

吉田 浩氏(株式会社天才工場 代表取締役)新谷:本日の社長に聞く!in WizBizは私の大変尊敬する、かつ大好きな吉田社長様です。吉田社長様は出版界のジャイアンと呼ばれております。私は年間1000人ぐらいお会いしているのですが、この方ほど天才だと思ったことはございません。ジャイアン、本日はよろしくお願いいたします。

吉田:はい、皆さんこんにちは。出版業界のジャイアン「胸に希望 お腹に脂肪を」でキャッチコピーでやらせていただいております。

新谷:よろしくお願いいたします。まずは経歴のほうを私のほうからご紹介させていただきます。1960年新潟県六日町生まれでいらっしゃいます。大学を卒業後、童話作家、ライターとして自身も含めて200冊以上の本をお作りになっていらっしゃいます。ご自身の本で最も売れたのが「日本村100人の仲間たち」45万部だそうでして、出版業界のジャイアンというふうに呼ばれていらっしゃいます。今までプロデュースした著者はALFEEの高見沢さんや小室哲哉、所ジョージ、片岡鶴太郎、テリー伊藤、オリエンタルラジオ、浜田幸一、オバマ大統領、ホリエモン、ドクター中松等々、幅広い分野でプロデュースをされていらっしゃる方が吉田社長様でいらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。

吉田:よろしくお願いします。

新谷:では最初の質問からさせていただきます。ジャイアンというふうに呼ばれていらっしゃるのですが、何でジャイアンというふうに呼ばれるようになったのですか?

吉田:これは今、私本田健さんと毎年何回か出版セミナーとか出版合宿をやらせていただいているのですけれども、今日本で1番本が売れている本田健さんがつけてくれました。ジャイアンのキャッチコピーは「お前のものは俺のもの 俺のものは俺のもの」。多分私の結構なジャイアンぶりで、多分ジャイアンというふうに名前を付けてくれたのだと思います。

新谷:大変ユニークなキャッチコピーだと思います。さてそのジャイアン、吉田社長は新潟県六日町出身とのことでいらっしゃいます。子どもの頃の思い出とかございますか?

吉田:私は新潟県六日町というところで、皆さん知らないと思いますけども、1番有名なのはお酒ですね。八海山というのがあります。それから田中角栄の選挙区なので、今田中真紀子がいますけども。ほとんど何もなくて結局スキー場とお米と温泉ですね。もうこれしかない山奥で生まれたのですけども。この前もちょっと帰省しましたけど、まだ雪がたくさん残っています。そういうところで生まれました。

新谷:何か小さい頃は大変なご病気をされたというふうにお聞きしているのですけども。

吉田:心臓の病気で、小学校4年生の時手術をしたのですけども、心室中隔欠損症という心臓に1cmぐらい穴が開いていたのです。たまたま血管が塞いでいて助かったのですけども、私自分の命というものは多分もう神様がくれたもので、自分では拾い物だと思っていますので。ですからそこでちょっと人生の価値観が変わりまして。小学校4年生です。もう人生1回きり、やり残したことがない人生を送りたいと思いまして、今それが多分自分のジャイアンを作ったのだと思います。

新谷:やはり小さい頃に自分を勇気づけていた本に恩返しをしたいというふうに考えるようになったというふうにおっしゃっていらっしゃるようですが。

吉田:私自身が小さい時に心臓が悪くて、一緒に他の子どもと遊べなかったのですよね。遊んでいると、近所のおばちゃん達がもう遊ぶなとか言われたりして、非常に悲しい思いをしまして。当時の友達が本しかなかったのです。ずっと本を読む子どもとして育ったので、自分を勇気づけてくれた、元気づけてくれた本にお返しをしようと思いまして、今日本で1番最初に出版プロデューサーを名乗って32年間に今1800冊の本を全部商業出版ですね。印税がもらえる本として作っています。中には先程、新谷社長がおっしゃったようにいろいろな芸能人とか芸人、政治家、文化人、著名人の方の本もやらせていただいております。

新谷:なるほど。今はもうご健康でいらっしゃる?

吉田:今はもう健康で、体重が今112kgぐらい、人生最高なのですけども。とりあえずこれはお医者さんからもまずいと言われたので、今はちょっと健康を今年の1番最初の目標として、今痩せるようにセッティングをしております。

新谷:後程健康のお話もお聞きしたいと思うのですが。その後大学で東京に来られていらっしゃいます。大学では何を学ばれたのですか?

吉田:私は法政大学というマイナーな学校なのですけども。

新谷:マイナーではございません。

吉田:大学では文学部日本文学科で、古典とかを勉強したり、あるいは幸福論。人はどうしたら幸せになれるか、幸福論のゼミをやったり、それから戦後文学ですね。もういろいろやりました。大学に行くというよりもバイトしに行っていたような感じもありますけども。

新谷:今の出版プロデューサーという地位はこの時に少し形成され始めたという感じでいらっしゃいますか?

吉田:もともとはSF作家を目指していましたので、SFを書いていたのですけども、全く売れないのですよね。1本も売れない。たまたま書いたSFが偕成社MOEの童話大賞に受賞しまして、ここで人生のメンター、童話作家の寺村輝夫先生に知り合いまして「お前は俺の弟子になれ」と言われまして、ずっと個人的にも教えていただいたのですけども。寺村輝夫先生は「ぼくは王さま」とか「おしゃべりなたまごやき」多分皆さんも1度は読んだことのある童話の先生だと思います。10年前に脳溢血で亡くなってしまったのですけども、もう本当に私が心から尊敬する唯一無二の先生です。

新谷:では就職せずにそのままお弟子さんになられて、そのまま童話作家の道に進んだのですか?

吉田:綜合警備という会社にずっと勤めていたのですけども、いつの間にか社員になってどんどん出世していって。実は私この話をするのはこれが初めてなのですけど、長い人生の中で隠していた訳ではないのですけども。なんと警備指令という支社長クラスまでになってしまいまして、これまずいなと。自分は作家として生きるのに警備会社で役員に、役員の一歩手前なのですけど、そこまでいったらまずいよねということで辞めました。

新谷:そうですか。警備会社は何年ぐらいいらっしゃったのですか?

吉田:警備会社は11年いたのですよ。しかも退職金もめちゃくちゃもらって辞めたので。

新谷:存じませんでした。初めてですね。

吉田:最後は研修所に行って、2万人を教えていました。そうなのですよ。これは誰も知らない私の秘密史なのですけども。警備屋さんに勤めたのは、自分で作品を書きたいのでこの頃はやっぱりたくさんの童話を発表しています。

新谷:何冊ぐらい童話はあるのですか?

吉田:童話は100冊以上ですね。あとはビジネス書とかです。そういう企画物を自分自身で自分の名前で出している本も100冊近くあります。ですから童話、紙芝居、絵本、そしてビジネス書、実用書全て含めて自分自身の名前で200冊ぐらい出ていると思います。

新谷:それは警備会社にお勤めになられながら出しているものも結構多いですか?

吉田:結構多いですね。その時に書いたメモをですね。私メモで本を書くのですけど、その時のメモって今でも2万枚ぐらいありますね。

新谷:なるほど。お辞めになった後は、いわゆる出版プロデューサーになられた感じなのですか?

吉田:最初はライターとして10年間。全く食べられない時代でした。それから編集プロダクションを10年間。もっと食べれなかったです。それから出版プロデューサーとして10年、ここが大ブレイクしました。大成功しました。

新谷:ライターとか編集プロダクションがなかなか上手くいかなかった理由というのは、どういう感じなのですか?

吉田:ライターは労働集約型なので、どんなに頑張ってもやっぱり2か月か3か月で1冊書き上げる。それで原稿料を50万もらう、もうかつかつですよね。結局年収としては300万ぐらいだったと思います。編集プロダクションは事務所を借りる、それから人を雇う、機材を入れるということで、結局必要経費がどんどん出ていくのです。あるいは出版社が倒産したりするのです。ですから出版社が倒産しなかったら、今頃天才工場はビルが建っています。やっぱり1番苦しいのは、今は編プロだと思いますけども。なかなか良い仕事がないし、単価も安い、叩かれてしまう。これではいけないと思って、やり始めたのが出版プロデューサーなのですけども。これもきっかけがあるのですけど、お世話になっている社長さん。名古屋にありますマーケティング・トルネードの佐藤昌弘社長が「吉田さんのやっているのは高額商品ですよ」という一言です。この一言が自分の運命を変えたのです。それから出版プロデューサーを目指すようになりまして、ガラリと変わりました。

新谷:どのぐらいガラリと変わられました?

吉田:今まではやっぱり出版社からお金をいただいていたのですけども、お金をいただく先を変えさせていただきました。経営者です。成功している経営者です。成功している経営者から、私のほうで本をプロデュースさせていただきます。しかも講談社、集英社、幻冬舎、PHP、三笠、徳間、そういうところから本が出せます。実際にもう100%出せているのですけども、全部商業出版です。本も売れますと、販促もお手伝いしますと。私自身が直接関わる場合はかなり高額なのですけども。でも実際に本を出した経営者の800人私がプロデュースした方がいらっしゃいますけども、800人800社、1社も売り上げは下がった会社はないです。ということで、出版プロデュースに切り替えてから、非常に会社が上手く回り出しました。

新谷:なるほど。編集プロダクションと出版プロデュースって、割と近いご商売のような感じがイメージがあるのですけども、違いは何だと思いますか?

吉田:ですからお金をどこからもらうかですね。出版社も今苦しいので、なかなかお金は払えません。

新谷:編集プロダクションは出版社から?

吉田:出版社からもらいます。

新谷:つまり商品は一緒だけども、もらう先を変えて、イメージを変えたというような感じなのですね。

吉田:そういうことです。出版プロデューサーも今私が2つ作っているのですけども、全く無料で本を出す仕組みを今から12年前に作りまして、ちょうど12年前に作りました。それから企画のたまご屋さんというNPOです。こちらは全国の優秀な著者、まだ世の中に出ていない企画を集めまして、それを無料で出版社1000人に毎日企画書を送ります。こちらは本が出た時に成功報酬として、印税の3割をいただいているのですけども。こういう形で無料で出せる出版と、私自身が直接関わって100%プロデュースする、100%出版保障、そして本が出なかったら100%返金保証、というこの2つでやっています。NPOのほうは非営利団体ですので、こちらのほうはもう大赤字です。多分もしかしたら過去の赤字というのは数千万になっていると思いますけども。これはボランティアスタッフが企画のたまご屋さんの出版プロデューサーが30人ぐらいボランティアでやってくれているから存在しているのであって、会社としてやっていたら大赤字です。天才工場は株式会社なので、株式会社は利益を追求するのが目的なので、こちらのほうはきちんと著者さんと話し合って、お金をいただいて商業出版をしています。

新谷:なるほど。


新谷:最後までお聞きいただきまして、誠にありがとうございました。
本日のpodcastはここまでとなります。また来週お楽しみに。

プロフィール

吉田 浩
株式会社天才工場  代表取締役
NPO法人 企画のたまご屋さん 会長理事
日本で最も古くから「出版プロデューサー」を名乗り、年間100冊以上もの書籍を生み出す。
33年間でプロデュースした書籍の数は1900冊にのぼる。
アーティストでは、アルフィーの高見沢俊彦から小室哲哉、お笑い芸人では、所ジョージ、片岡鶴太郎、オリラジ。そしてサルの次郎からオバマ大統領まで、幅広くプロデュースを手掛ける。
最近では作家の本田健さんの書籍も手掛け、その著書の中でNo.1出版プロデューサーとして推薦されている。
『低インシュリンダイエット』『動物キャラナビ』など累計100万部を越える本なども多数手掛ける。
自身は童話作家としても活躍しており、著作の『日本村100人の仲間たち』は45万部のベストセラー。また2014年4月には「本を出したい人の教科書〜ベストセラーの秘密がここにある〜」(講談社)を出版。