経営者の味方「0円ビジネスマッチング WizBiz(ウィズビズ)」

WizBiz:HOME >  ビジネスマガジン >  社長に聞く!in WizBiz  >  第41回 今野 清志 氏(株式会社六方社代表取締役)【前編】  詳細

社長に聞く! in WizBiz(経営者インタビュー)
第41回 今野 清志 氏(株式会社六方社代表取締役)【前編】

更新日:2018年09月07日

今回は、『目は1分でよくなる!』の著者、35万部の大ヒットベストセラーを生み出していらっしゃる、株式会社六方社 代表取締役の今野清志様にお越しいただきました。
中学では柔道で東北大会のチャンピオンとなるほど力が強かったという今野社長。様々な経緯から中央大学法学部を卒業後、慈恵医大のアイソトープ科に出向して医学を学ばれます。患者を救うには予防医学が最も大切だということに開眼し、薬を使わない治療法の確立をライフワークとされています。ご趣味では演劇や日本舞踊も嗜まれていたという、多才な今野社長の魅力溢れるお人柄を、ぜひインタビューよりお楽しみください。
 

今野 清志 氏(株式会社六方社代表取締役)新谷:本日の「社長に聞く!in WizBiz」は、『目は1分でよくなる!』の著者であり、35万部も売れているベストセラー作家であり、設立家でいらっしゃいます今野社長様でいらっしゃいます。 まずはご経歴をご紹介します。1953年宮城県生まれ、中学時代は柔道で東北大会のチャンピオンになられていらっしゃいます。その後、ヘルニアになられて柔道を断念し、中央大学法学部に入学後、慈恵医大のアイソトープ科に出向して医学を学ばれて、その後中国に渡り、その後独立し、今大成功している社長様のお1人でいらっしゃいます。よろしくお願いいたします。

今野社長:よろしくお願いします。

新谷:それでは最初のご質問は、宮城県ご出身ということなのですが、小学校・中学校時代はどんなお子様でいらっしゃったのでしょうか?

今野社長
:やはり小学校から体が大きかったですね。足が速くてスポーツが大好きだったのです。中学の時に実は柔道を始めたのです。この柔道というのはなぜ始めたかというと、親父の酒乱ですね。何とか懲らしめてやろうと思って。それで強くならないかんと。しかし、親父は元軍隊でもうすごい力持ちで、町一番と言いますか村一番というか。そういった力持ちなので、通常では勝てないのです。だけど、よし頑張ってやろうということで柔道を始めたのがきっかけです。

新谷:そうでいらっしゃいますか。でもそれはお父様譲りで東北大会のチャンピオンにもなられていらっしゃいますね。

今野社長:そうですね。そのおかげで根性ができまして。賞金稼ぎと言われるぐらいに頑張らせていただきました。

新谷:その後、高校に進まれて、高校時代も柔道をやられていらっしゃったのですか?

今野社長:そうですね。高校も柔道をやって、2年の時ですかね。ちょうど3年になる前に大会があったのだけど、腰を痛めて、それで50日間ぐらい入院したのです。それで何とか回復して、優勝はできなかったけど、準優勝はできて。そういった経験をして。

新谷:なるほど。その後、中央大学法学部に入学ということで、大変さすが頭脳も明晰でいらっしゃったということなのですけども。

今野社長:そんなことないです。

新谷:中央大学法学部を選ばれた理由は何かあられますか?

今野社長:実はやっぱりうちの田舎、当時は佐々木更三といって社会党の委員長をやられた方が地元にいて、あとは有田喜一さんとか結構政治家が多かったので、ちょっと政治のほうにも興味があったので、それでどうだろうかということで入りました。

新谷:そうでいらっしゃいましたか。では大学時代は政治を勉強されていらっしゃったのですか?

今野社長:政治とか、当然法律を知らないとどうしようもないので、法律をたまたまかじったと。

新谷:なるほど。今後も政治家になられるということはあられるのですか?

今野社長:これはありませんね。政治の裏側をよく知っているので。

今野 清志 氏(株式会社六方社代表取締役)新谷:なるほど。大学時代はどんな学生でいらっしゃったのですか?

今野社長
:大学時代は1、2年は柔道をやっていたのだけど、やっぱり腰に負担がかかって止めて。演劇というか、全く逆方向の演劇に興味を持ちまして、それで演出家が面白いのではないかといって。それで、ドイツに留学するつもりでいろいろ勉強したのですね。

新谷:そうですか。ちょっと知らないことが出てきてびっくりしているのですが。演劇部というか、そういう感じでいらっしゃったのですか?

今野社長:演劇部じゃないのだけど、昔から小説が好きで本はたくさん読んでいて、それから歌舞伎だとか、それから松竹新喜劇とか、舞台だとか、そういうのが好きだったので。それと、たまたまうちの親戚が東京におりまして、いつもNEWな本を送っていただいて「感想文を書きなさい」と言って、よく本を送っていただいたものだから、その中でドイツの文学を結構送ってくれたものですから。少しドイツ語も含めて勉強していこうかなと思った。

新谷:なるほど。ちょっと想定外の新しいことをお聞きして今びっくりしておりますが。その後、演出というか演劇というか、そっちの道には進まれず、慈恵医大のアイソトープ科に出向して医学をそちらで学ばれたというふうにプロフィールに書いていらっしゃるのですが。柔道でもなく政治でもなく演劇でもなく、なぜアイソトープと?

今野社長:そうそう。なぜかというと、本来は留学が決まっていたのだけど、仲間2人と。それからドイツ文学をやっていらっしゃる先生がいて、その先生が一緒に飛び立つ3日ぐらい前に心臓病で倒れてしまったの。それで行けなくなったの。それで我々だけ行ってもしょうがないなと、先生と一緒にと思って企画したものだから。それで生活もしていなかったし、困ったなということで、遊んでいる訳にもいかず、たまたま縁があって、当時研究室があってそこに滑り込んだと言いますか。それが縁で実は、いろんな法律だとか政治だとかいろいろ演劇やったのだけど、生の病院に入ってくるといろんなことが分かってきて、それが大きく勉強になりましたね。

新谷:そうですか。そのアイソトープというのはどういう意味で?

今野社長:アイソトープというのは核医学なのだよね。ラジオアイソトープといって放射性同位元素を使って当時はなかったのですよ。非常に当時としては珍しいというか。だから古い先生方は分からないのですよね、新しい検査方法だから。だから皆大きな顔しているけども、全然分からないから教わりにくるから。教えてくださいという形で、こちらが反対に教えてあげているという感じでしたね。

新谷:なるほど。今野社長が研究員として入られた感じなのですか?

今野社長
:そうそうそう。

新谷:大先生達に教えているという感じでいらっしゃいますか?

今野社長
:そうそうそう。だから逆転している訳ね。やっぱり知識が全然違うでしょう。それでいろんな科によって、病院に入り込むとやっぱり全然違う訳。いろんな科があって、それで研究熱心な科もあれば、あんまり不熱心な科いろいろある訳ね、それは。やっぱり伸びる先生って分かりますね。これやって、これやろうとか、本当に日本でも有名になった先生方たくさんいますね、当時。

新谷:なるほど。そうでいらっしゃいますか。その後、中医学にご出合いになって中国に渡られるのですが、慈恵医大を辞めてということですか?

今野社長:そうそう。それはなぜかというと、病院で働いているといくら検査してもここだよと。それで治す方法がない訳。結果は分かる。あぁなるほど、ここが原因みたいだなというのは分かるの。だけど治せますか?といったら治せないの。やっぱり自問自答していってこれじゃ駄目だなって。たまたまその時に中医学の先生とたまたま出会って、私が施術を受けたのです。その時にもう衝撃ですね。手技でこんなに体が楽になるものがあるものかと。当時はもう病院だからすぐ薬を出させて、それでこうでこうだと。でもほとんどが効かないの、残念なことに。それで薬であんなにも楽にならないものが何でこの手技でこんなに楽になるんだといって、後で聞いたらこれが中医学と。

たまたまやっていたのが十四経絡療法といって。これだ!と思って。やっぱり予防医学……病院にいるともう何万人も来る訳。休日でもないのにずっと切れ目がないぐらい。しかし、結局はやっていることが治せない状態な訳ね。それでこれがあれば来る前に、要するに予防したほうが良いのではないかと、どうしても悶々とそういうのが湧いてきて。それで、予防医学は何かないかなと思って、たまたま会ったのがこれなのよ。それで、もうこれだ! これが1番良い! といってそれで中国に勉強しに行ったのです。