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社長に聞く! in WizBiz(経営者インタビュー)
第40回 早川 周作 氏(SHGホールディングス株式会社代表取締役)【後編】

更新日:2018年07月02日

WizBizの新谷です。先週の続きをお聞きください。
 

第40回 早川周作氏(SHGホールディングス株式会社代表取締役)【後編】新谷:その後、国政選挙に。これは鳥取県でいらっしゃいましたか?

早川社長:鳥取県です。

新谷:出られる訳ですが、これはやっぱり羽田先生がお勧めになったという感じですか?

早川社長:これはもう既に皆さんに申し上げているので、包み隠さず申しますと、26歳で実は私、秋田一区というところで衆議院の内定をいただけそうな状況になりました。生まれ育った錦飾らずば国に帰らず、つまり錦を飾るためにしっかりと故郷に帰ろうと。しかしながら、実はそこで今の現職でもある寺田学先生に公認を取られました。そこで、彼が最年少の国会議員になって、僕みたいにやはり縁もコネも金もないやつは絶対に知事の息子、大臣の息子とやり合って勝っていかなかったら本当のバッチを付けられないだろうと。

そこで、次回の衆議院で突然郵政解散になって、いろいろな選挙区と調整している中で解散がある中で、党本部に解散の日に9つ選挙区を提案されました。そこで、僕の条件は1つだったのです。相手が知事の息子か大臣の息子であること。その中で、たまたま鳥取一区の僕の尊敬する石破茂先生が鳥取県知事をやって、角栄さんの時代に自治大臣になったご子息でいらっしゃったのですね。ですから、知事の息子か大臣の息子かという条件がなんと必要十分条件を満たしています。つまり、知事の息子であり、大臣の息子。これは相手に申し分はない。そこで実は5分で決意を決めて、鳥取に記者会見で翌日に入り込んでいったという形になります。

新谷:なるほど。選挙は厳しかったのではないですか?

早川社長:厳しかったですね。もう本当私はその当時の民主党で逆風でありながら、なおかつ初めての民主党公認候補で石破先生にぶつかったのです。ですから、もう空港に着いてからすぐにどんな人間が来るのだと。つまり、その当時1番脂がのっている防衛大臣で自衛隊の派遣をして、次期総理に1番近い人間と言われていました。そこに対して、突然羽田孜の秘書が28歳でどんな爆弾を送り込んでくるのだと記者陣が期待する訳ですよね。

記者会見でも本当に今でも忘れないのがシャッターの嵐の中で、「鳥取にいらっしゃったことあるのですか?」と聞かれる訳ですよね。「大変恐縮ながら正直に日帰りで1回だけ来たことあります」記者大爆笑です。「鳥取にお知り合いいるのですか?」と言われて、「今から作ります」また大爆笑ですよ。最後に共同通信の記者さんに言われたのが「勝算ありますか?」と言われたので、僕もカチンとちょっときたのか「すみません。負ける気しません」と答えてしまったのです。そうしましたら、地元の夕方ニューストップですよ。6時15分ぐらいから「負ける気しない早川社長氏」……どこつけても「負ける気しない早川社長氏」。翌日の一面地元紙「負ける気しない早川社長氏」ですよね。誰1人知り合いがいなくて、日帰りで1回しか来たことがない28歳の小僧が突然「負ける気がしない」と言われたら、相手どう思うかですよね。それは、相手の後援会から何からもう激怒でございますよね。ですから、非常にユニークであり、また非常に何と言いますか、言葉では言い表せないような楽しいことがたくさんございましたですね。

新谷:さすが早川さんという感じで、早川社長様の素晴らしさを感じますが。

早川社長:とんでもないです。

新谷:選挙に落ちられた後、これは秘書に戻るのではなくて経営者に戻られたのですか?

早川社長:そうです。

新谷:それは何か秘書に戻らないで政治の世界は辞めたみたいな感じで、経営者だったのですか?

早川周作氏(SHGホールディングス株式会社代表取締役)早川社長:それはですね、これはまた少しだけお時間をいただくことになるのですけど、実は落選した翌日に羽田孜から電話があって、「とりあえず3万枚の名刺を作れ」と言われました。選挙区には漁村周り農村周り市街地もある、隣村もある。「選挙区をすべて歩くことによって日本の縮図を敷くことになるんだ」と言われました。ですから、僕も月3000軒1軒1軒郡部から何からずっと。ですから、選挙区で行ったことない家・会社1つもございません。約2年で7万人程の後援から組織を作っていきました。非常に自分にとっては勉強になったのですが、しかしながら、問題が1つ発生しました。その時に実は参議院選挙で鳥取の一人区の選挙区の中で、実はある組織のトップから「参議院の候補者がいないからお前出ろ」と言われたのです。

そこで、あるそこの組織の大会で、僕は出馬の表明をしろと言われる中で、これは党本部の了承を得ていないのでまずいだろうと思いながらも、言え言えという話をされたので、「皆様方が神輿に乗せていただけるならば出馬する可能性はある」と申し上げたら、翌日の新聞に「早川社長氏参議院選挙に出馬に意欲」と出たのです。あら、こんな出ちゃうんだと思って、党本部から連絡があって、その翌々日ぐらいに小沢先生が突然鳥取に来るという話になりました。

そこで、中華でお待ちしていたら座った瞬間に「次の参議院選挙、川上義博氏を擁立する」と言われました。実は郵政解散で鳥取二区で除名をされて、非常にあくが強い先生なのです。旧保守系の非常に考え方が保守系なので尊敬はできますけど、なかなか折り合いがつかなくなりまして。ですから、これ確か「朝ズバ」とかでも取り上げられたと思うのですけど、いわば旧自民党の反対派、郵政反対派の人間が民主党に合流した時のまさに最中でございまして。彼が参議院議員に当選して、やっぱり非常にごたごたがありまして、ポロッと「彼にはついていけないよ」という話を記者に申しましたら、翌日に「早川社長氏衆議院選挙断念」と出たのですよ。そこで党本部からえらい電話が鳴りまして、こうなったらもう彼の組織、つまり国会議員の彼は一応県連の代表になることになる、僕は副代表をやっていましたので、そこで一度じゃあここから政治の道を身を引こうかというところで、実は身を引くことになりました。ですから、これは今簡潔に申し上げていますけど、非常に深い話も実はたくさんあるので、今度飲みに行った時に是非お願いします。

新谷:分かりました。是非お聞きしたいなと思いますが。では政治家から事業家に戻られて、今現在いろんな事業も手広くやっていらっしゃいますが、どんな事業を今やっていらっしゃいますか?

早川社長:メインとなっているのがコンサルティング業務で、私自身約95社ぐらいの社外役員とか顧問になって、そこの営業支援だとか財務支援とか法務支援、いわゆるその企業に必要なものをご提供する。つまり、会議に出たりとか、もしくは経営者の悩み事を解決する事業をメインにやらせていただいています。しかしながら、確かに中小企業の支援も面白いのですけど、やはりしっかりとキャッシュフローを作っていくという中で、飲食店からネイルサロンを買ったりとか、リラクゼーションをやったりとか、花屋をやったりとか、いわばもう約50業態程、今事業を展開しております。ですから、「何を?」と聞かれたらこの頃面倒くさいので、太陽光を僕13基ぐらいやっているのです。だから小さい街であれば売電が可能じゃないですか。ですから、この頃「何をやっているのですか?」と聞かれたら、太陽工業者かもしくはソーラー屋と答えている。ですから、名刺も早川社長ソーラーに変えようかなと思っています。

新谷:あまりに事業が多いので、早川社長様を見ていると、何をやっているかを聞くのを僕はやめているのですけど、ソーラー屋さんというのは初めて聞きました。

早川社長:僕の親父が会社を潰して蒸発しているので、僕は何百億のお金を手にするというよりも、確実に社員を守っていく、確実にフローを作っていく。ですから不動産も非常に多く持っていますし、太陽光だとか、また来月はコインランドリーを始めるのですけど、確実に、つまり負けない戦いを絶対にしていく、それが僕のやり方でございますので。

新谷:なるほど。政治家を諦めてから今何年ぐらい経ったのですか?

早川社長:今10年ぐらいですけど、実は昨年、一昨年の「衆議院の比例名簿に載ってくれ」と言われて載ったり、「参議院の全国比例区で出てくれ」とか。あと、実際に今ある政党から激しく、ある選挙区で出馬をしてくれないかというお話も賜っております。ですから、大変恐縮ながら自分が出る出る出るではなくて、しかるべき土壌が整って、しかるべき神輿が僕の中で納得できる、もしくはまた一発勝負をしたい、そういった時期を待ち続けている。実はその志はまだ捨てられていないですね。

新谷:では将来はやっぱり政治家になられて、総理大臣になられてという可能性もおありになるのですね?

早川社長:正直その志を捨てられたら人生がどれだけ楽なのだろうなということは思います。先ほどの羽田孜から頂いた言葉で「有志有途」という、志あるところに道は開ける。つまり志を持ち続けていることによって、自分のバランスを整え、自らの本当にやりたいことを実現していくために今何をするべきかということを考えていく。それを考えていくと、やはりその世界にまた挑戦をしたいという強い気持ちはございます。

新谷:なるほど。ちょうど座右の銘でもその「有志有途」というのを先にお聞きしていて、そういう意味なのかと今初めて聞きまして、羽田先生が贈られたお言葉なのですね。

早川社長:そうです。僕が出馬を決めて、党本部から議員会館に行く時に、いつも新聞をご覧になられているのですけど、突然新聞を見ながら「お前サッチャーという政治家知っているだろう?」と言われたのです。「当然世界的な政治家で存じ上げています」と。「サッチャーも最初は何もなかった。厳しい選挙区をたらい回しにされながら、しかしながら、そこで粘って粘って議席を取ってあれだけの政治家になったんだ」と。「志あるところに道は開ける。有志有途だ。胸を張って頑張ってこい」というのが、私が鳥取の記者会見に行く前に羽田さんから言われた言葉でございまして、そこはやっぱり胸に大きく刻まれています。

新谷:なるほど。大変心に響く素晴らしいお話ですね。

早川社長:とんでもないです。

新谷:最後になるのですが、ご質問なのですが、経営者向け、社長様向けの番組でございまして、できましたらこれから起業する方とか、今社長様とかに、社長業の成功の秘訣というのをお教えいただけたらなと思っているのですけども。

早川社長:大変恐縮です。私が成功しているか成功していないかというのは別として、やはりある一定の……私は沖縄に移住して今、月半分は沖縄であったりとか、もしくは通常の役員報酬や、もしくはそれよりも多少は頂いていると思います。しかしながら、よく派手に見られることがあるのですけど、私社内でいつも言っているのは「地道に勝る王道はない。確実に地道に積み上げた先にしか大きな成果は得られない」。さらにそれを申し上げると、やはりいろいろな私ラジオNIKKEIの番組とか、いろんな方々と対談をしてくる中でも、成功している方って全員「成功の要因は何ですか?」と答えるのが「運」だと答えます。僕は根本として、努力が実力を生んで、実力が幸運を掴むというのが僕の考えです。

つまり、地道に勝る王道はなく、努力をし続けて実力をつけた人間にしかしかるべき幸運は舞い降りない。それを考えれば1日1日どれだけ大切にして地道に積み上げて、一段一段。つまり、一段一段階段に上がらないとやはり怪我をしたり、ですからやっぱりそこら辺の派手にやっていくのではなくて、しっかりと固めていく、それがやっぱり僕は経営で重要だと思っています。

新谷:なるほど。私が反省しなくてはいけないことを言っていただいたようでございますけども。

早川社長:いやいや、とんでもないです。

新谷:全国の社長様に是非地道にということで。

早川社長:それはやはり社長になる能力があって、カリスマ性がある方であれば僕は良いと思います。しかしながら、やっぱり僕はスモールビジネスをこれだけ展開をしていく中で、やっぱり1日の売り上げ……。特に僕が社内で申し上げるのが「日銭を稼げるビジネスモデルと、資金繰りに困らないビジネスモデルと、内部留保を高めて投資できる金額を留保する。この3つの車輪を回せなかったら絶対会社は潰れていく」それを考えたら、どれだけ地道にその仕組みを作るのかというのは、僕はやはり大きなことはできないけれども小さいことの積み重ねでやってきているので、そういった意味でこんな縁もコネも金もない人間でもできるので、全国の皆さんでお困りになっているとか、壁に当たっているという方は、僕を思い出していただければ、あんなやつでもできるんだからというところで、勇気づけられるようなことになったら嬉しいなと思います。

新谷:なるほど。ありがとうございます。是非悩んでいらっしゃる方は、私と一緒に早川先生のところにお教えをいただきにまいりましょう。

早川社長:とんでもないです。

新谷:本日はリスナーの皆様、お忙しい中をお聞きいただきまして、誠にありがとうございます。是非ご参考にしていただければと思います。早川社長様、どうもありがとうございました。

早川社長:ありがとうございました。


【新谷の目】
本日の「社長に聞く!in WizBiz」はいかがでしたでしょうか? 私の尊敬する、政治家であり経営者でいらっしゃいます早川社長様。大変苦労されているのを私も初めて聞き、素晴らしいなと。大変突飛なことをよくおっしゃるのですが、その発想も経営者らしいし、そして早川社長様がこんな真面目なことをお話されるのだというので大変びっくりしていますし、尊敬もしております。皆様方も早川社長様にご相談されたりしてはいかがでしょうか? 是非ご参考にしていただければと思っております。本日の「社長に聞く!in WizBiz」はここまで。

プロフィール

日本リーディング総合法務事務所所長
一般社団法人アスカ王国青少年自立支援機構理事

早川 周作

1976年12月17日、秋田県生まれ。明治大学卒業。元首相秘書。現在は80社以上の顧問会社を持つ総合法務事務所を経営するとともに、日本最大の規模を誇るベンチャー企業交流会「ベンチャーマッチング交流会」を主催。さらには、自身のさまざまな経験を活かし、夢を持てなくなってしまった人へのサポート活動にも力を注いでいる。2009年9月には個人向け夢実現プロジェクト「夢のカタチはひとつじゃない」をスタート。