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社長に聞く! in WizBiz(経営者インタビュー)
第39回 早川 周作 氏(SHGホールディングス株式会社代表取締役)【前編】

更新日:2018年07月02日

今回は、SHGホールディングス株式会社代表取締役 早川周作様にお越しいただきました。
大学在学中20代前半から、学生起業家として数多くの会社の経営に参画して活躍。その後、元首相の秘書としての経験を積みながら、現在は「日本のベンチャーを育てる」という意志のもと、日本最大級の経営者交流会を全国で主催されています。
著書として『人生が変わる!「夢・実現力」』『小さい夢から始めよう。』などがあり、幅広い事業を展開し、大活躍中の社長様です。
華やかな経歴を持ちながら「地道に勝る王道なし」と語る早川社長のインタビュー。
大変聞きごたえのある内容となっております!
 

第39回 早川 周作 氏(SHGホールディングス株式会社代表取締役)【前編】新谷:本日の「社長に聞く!in WizBiz」は、早川社長様でいらっしゃいます。まずは経歴をご紹介させていただきます。大学受験を目前に家業が倒産し、お父様が蒸発。アルバイトで学費を納め、明治大学法学部に進学。学生起業家として数多くの会社の経営に参画。その後、元首相の秘書として2年間勉強し、28歳で国政選挙に出馬。次点となって、経営者に戻ってからは日本最大級の経営者交流会を全国開催。弁護士・行政書士・公認会計士・税理士・社労士・その他の専門家と連携して、約90社のベンチャー・法務・財務・営業支援などを指揮されていらっしゃる早川社長様でいらっしゃいます。「日本のベンチャーを育てる」という原点に活動されていらっしゃいます。それではよろしくお願いいたします。

早川社長
:よろしくお願いします。

新谷:最初のご質問ですが、ご出身は秋田ということでよろしかったでしょうか?

早川社長:秋田です。秋田県の秋田市でございます。

新谷:秋田県の秋田市。小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになりましたか?

早川社長:小学校の時はバスケットボールにはまっておりまして、熱中しました。中学であまり何と言いますか…良い学校ではなかったものでございますので、多少道を外れました。そこで、実は受けた高校を全て落ちてしまいまして、なんと高校どこも行けずに一度働いて、そこから夏ぐらいから猛勉強をして何とか秋田の地元を離れて、千葉の進学校に何とか滑り込んだというですね。

新谷:そうですか。

早川社長:実はとうに高校浪人をしているという、人生中学生から挫折をしているという。

新谷:なるほど。中学はじゃあいわゆる不良みたいな感じですか?

早川社長:不良と言いますか、何と言いますか…非常に人と同じことをするのが苦手だった分類、それは今でもそうかもしれませんが。

新谷:私の知っている早川社長様らしいなと。

早川社長:ありがとうございます。

新谷:なるほど。高校はじゃあ千葉のほうに行かれたと?

早川社長:そうです。

新谷:高校時代はどんなことをして過ごされたのですか?

早川社長:高校はやはり秋田の方々を見返そうという概念が非常に強くなりまして、特に中学校の頃に後ろ指を指してきていただいた皆様方に、やはり僕が国立の医学部とかに進学することによってそれを見返せるのではないかと。そこで高校では寮で暮らしまして、本当に自衛隊やもしくは刑務所よりも厳しいと言われる寮生活を送りました。6時45分にラジオ体操をして、もう消灯から含めて非常に厳しい寮で、そこで猛勉強をしました。ですから、高校時代は寮生活と予備校通いと、本当に集団生活の中で自分が社会でどうあるべきなのかというのを教え込まれた3年だと思います。

新谷:なるほど。その後、大学は明治大学の法学部という明治の中でもトップクラスの学部でいらっしゃいますけども。

早川社長:とんでもないです。これ夜間の学部ですからね。

新谷:そうでいらっしゃいますか。何か明治を選ばれた理由とかは何かあられたのですか?

社長に聞く! in WizBiz(経営者インタビュー)早川社長:もともと高校の時に、高3で1月15日にセンター試験が終わって、その後親が連絡がつかなくなって、1月30日に母親が連絡ついたと思ったら突然泣きながら親父が会社を潰して蒸発をしたと言われました。そこですぐ秋田に戻ったら、ガラスは割られたりとか、差し押さえの紙を貼られたり、非常に闇金だとか商工ローンというのが無礼講している時期でございましたので、そこで受験を諦めざるを得なくなって、そこで実は唯一助けてもらえたのが、市や行政に相談しに行っても「お前らなんて住む所も食べる物もなくていいんだよ」と言われたものですので、そこで助けてもらったのが唯一弁護士でございました。そこでその弁護士の先生に「本当に困った人を助けられるような先生のような法律家になれますか?」と伺いましたら、非常に勘違いをする言葉を言われました。それが「お前は目が違うからなれる」と言われたのです。ですから、荷物を1つまとめてまた東京へ出てきて、新聞配達をやって、コンビニで働いて、また自転車で予備校に通いながら1番学費が安い法律が勉強できるのが明治大学の実は夜間の法学部でしたので。そこで実は、もう明治に対しては全く思い入れがなかったのですね。ですから、もう学費が1番その当時安くて、確かその当時34万円で年間の学費だったと思います。ですから、もう学費が安くて、法律が勉強できる、またなおかつ都内で便宜が良いというところで、何の志望動機もなくそこに行った感じでございます。

新谷:なるほど。でもすごい早川社長様らしい、紆余曲折のそれを突破できる力があられるというのはすごいですね。

早川社長:いやもう、踏んだり蹴ったりでございます。

新谷:そうでいらっしゃいますか。大学時代は学生起業家としていろいろやられたということでいらっしゃいますが、どんなふうに過ごされていらっしゃったのですか?

早川社長:たまたま大学1年生の時に、同時に新聞配達とつな八という天ぷら屋で皿洗いとかをしている中で、やはり法律をやっていきたい、それを考えた時に法律事務所だとか法律に関わる仕事をしていきたいなと思いました。そこで実は入学式から六法を持ち歩いて僕学校に行っていたのです。そしたら、たまたま席の後ろの女の子が「今度弁護士と食事に行くんだけど、一緒に行く?」と言われまして、私も勘違いして、私に気があるのかなと思ったのですけど、そこで食事に行ったらたまたま法律事務所を紹介されて、実は大学1年生の5月から法律事務所の、銀座の新銀座法律事務所というところで働くことになりました。

大学1年生でそこの法律事務所で、民事再生会社更生法競売、いわゆるそういった事業会社に必要なことを勉強して、大学3年生でたまたまそこの法律事務所の関係がある大学教授から約5千万程調達をして、不動産の競売事業というのと、あとおにぎり屋をスタートしたのが商売の原点でございます。

新谷:そうですか。では競売事業が1番最初でいらっしゃったのですね。

早川社長:そうでございます。その当時のボス弁が非常に競売に興味を持たれていて、約20年前で市場価格の半値ぐらいで買えた時代がありました。また、たまたま大学1年生で民事再生会社更生法をやっていく中で、立ち退きの交渉を立ち会う中で、随分その相手方の鮮魚屋さんとかに気に入られる性格を持っていたものでございますので。ですから、そういった意味で競売で、いわく付きの不動産を落として、それをまっさらにして中間調略で流すとか。もしくは、大手の会社の戸建て住宅用地を建築確認取れるかの確認をした上で上手く物件を調達して流し込むとか、そういった事業が最初の原点でございます。

新谷:そうですか。相当儲かったのではないですか?

早川社長:その当時はぼちぼちでございますけど、社員数も280名ぐらいまで膨らんで、借入とかも普通20億、30億は普通にできる環境にはあったので、そういった意味では最初でも辛かったのですね、借金で個人保証もついて尚且つ10時ぐらいに営業が帰ってきて、そこから営業の大変恐縮ながら懲らしめをしましてですね。そこで、その後食事に行って、その後遊びに行って、また4時5時でなって、サウナに行って2〜3時間寝て、また8時半から会議とかですね。ですから、最初の創業期の2年半で急性胃腸炎・胃潰瘍・帯状疱疹、全てストレス性の病気を全部、自慢ではございませんが、やってしまった感じでございます。

新谷:その頃はもう大学もあまり行かずという感じですか?

早川社長:本当に有り難いのが今でも忘れないのが、大学1年生で体育の授業が必須だったのですね。本当に僕もどうにもならなくて、仕事を勤めながら、通いながら、また大学3年で創業しているので。でも体育の時間とかは、僕今までで1番思い出深いのですけど、1回も出ずに最後の回だけスーツを着て教授のところに行ったのです。100人ぐらいいる前で僕土下座をしましてですね。「単位を下さい」と。「本当に僕はお金がないので、もう留年したら通えなくなりますし、また大学3年で司法試験を受けたいのです。そのためには絶対にこの科目は必要なのです」と言って土下座をしたのです。そしたら突然教授室に呼ばれて、「お前は何であんな恥ずかしいことをするんだ」と言われまして、「僕はどうしてもこういった事情があるのです」と申したら、突然「私の明治大学」という作文を書けと言われまして。その2〜30分で作文を書いて教授に渡しましたら「感動した」と言われて、それでなぜか単位をもらったという。

新谷:すごい話ですね。

早川社長:ですから、本当にいろんな…僕は本当に力は全くないのですけど、やっぱりいろんな方々に場面場面で、最初の法律事務所に拾われたり、最初の投資家に拾われたり、いろんな方々に支えられてなんと無事に大学も卒業できたという。

新谷:そうですか。早川社長様のお話を聞くと、何でも早川社長様ができるのではないかと思えてきますが。

早川社長:そんなことないです。全く何もできないです。

新谷:その後、大学卒業後、羽田孜元首相の秘書になられると。

早川社長:そうです。

新谷:この選択は司法試験でもなく、秘書というのは、社長さんでもなく?

早川社長:たまたま大学1年生で入らせてもらった法律事務所に佐藤道夫先生といって、検事長で札幌高検の検事長をやったり、NHKのドラマ化で検事長の役とかにも取り上げられた道夫先生が検察を辞めて、参議院議員になっていらっしゃって。その参議院議員で弁護士登録をしているのが、実はうちの法律事務所でございました。そこで初めて国会に書類を届けに行った時に、パッと見た時に実はチャックが半分開いていたのですね。そこで何だろうと。チャックが半分開いている方でも国会議員になれるのかという若気の至りで勘違いをしましてですね。そこで、実は大学3年で司法試験を受けたのですけど、そこは択一は上手くいって論文で駄目で。そこの時にたまたま一弁護士になるよりも、原点で本当に親父が会社を潰して蒸発した時に思ったのが、やっぱり強い地域強い者のためではなくて、弱い地域弱い者のために何で社会基盤が働かないのだろうと。そこで、困った方々に手を差し伸べよう、そのために弁護士になろう。しかしながら、一弁護士になったとしても社会基盤は変えられない。それを考えた時にやっぱり僕が目指すところというのは、どうなのだろうという時にたまたま出資の話がきました。そこでやはりいくらでも後で勉強はできると。しかし、このチャンスを逃したらまずいというところで事業を興して、そこでやはり政治の世界に行こうというところを決めました。

新谷:社長業は学生の時にやっていらっしゃった訳ですから。

早川社長:もう21〜25歳ぐらいまでやっていましたね。

新谷:秘書に移られた時は、その社長業を一旦捨てるという感じですか?

早川社長:それは株を売却をして、ある一定のお小遣いを頂きましたので。ですから、2年半ほど無給でやらせていただきました。

新谷:そうですか。それはすごい話なのですけど、また、この前お亡くなりになられた羽田孜元首相ということで、相当勉強になられたのではないでしょうか?

早川社長:もともと実は25歳でその会社を離れた時に、いろんな政治の本を読んだのです。そしたら、それまで政権交代をしたのが細川・秦内閣しかなくて、細川さんに会いに行きましたら何かピンとこなかったのです。敷居を作られたりして、いわゆるお殿様ですよね。次に秦さんに会いに行きましたら、現職で錚々たる国会議員とSPを引き連れている姿を見て、まだ本当に慣れていなかったので、ドラマのように感じました。そこで僕は右腕に抱きついて「僕を国会議員にしてください」と申したのです。そしたら、また勘違いをする一言を言われまして、「お前は目が違うからなれる」と言われたのです。

ですから、そこから丁稚奉公で随行からパーティーでも1日3カ所4カ所周って、また朝5時45分に迎えに行ったり、ずっとSPと内容を詰めたりですね。出張同行をしたりとか。ですから、人間との付き合い方とか、政治家としてのあるべき姿とか、どういう信念を持って……。例えば、この前亡くなられた時でも二階さんという元幹事長があれだけのお人柄の方は今までの政治家ではいなかったのではないかと。ですから、本当に人間力溢れた親父さんの元で勉強できたのは、本当に今までの経験の中で一生の宝かもしれないですね。

新谷:なるほど。

プロフィール

日本リーディング総合法務事務所所長
一般社団法人アスカ王国青少年自立支援機構理事

早川 周作

1976年12月17日、秋田県生まれ。明治大学卒業。元首相秘書。現在は80社以上の顧問会社を持つ総合法務事務所を経営するとともに、日本最大の規模を誇るベンチャー企業交流会「ベンチャーマッチング交流会」を主催。さらには、自身のさまざまな経験を活かし、夢を持てなくなってしまった人へのサポート活動にも力を注いでいる。2009年9月には個人向け夢実現プロジェクト「夢のカタチはひとつじゃない」をスタート。