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社長に聞く! in WizBiz(経営者インタビュー)
第33回 相浦 孝之氏(株式会社このみ)【前編】

更新日:2018年05月16日

今回は、独自ブランドの制服を立ち上げ、インターネット通販を通じて人気を集めている、株式会社このみ 相浦社長にお越しいただきました。原宿の店舗にはイマドキの女子高生が殺到しており、日本テレビ「マツコ会議」でも「原宿オシャレ制服専門店」として取り上げられるほど、大人気となっています。
新潟県生まれの相浦社長は、学生時代はスキーに没頭し、そこで忍耐力を鍛えたといいます。そして今や自ら「商売は天職」と言い切る社長の、商売・経営に対する深い情熱とは? インタビューをぜひお聞きください!
 

相浦 孝之氏(株式会社このみ)新谷:本日の社長に聞く in WizBiz は指定服、指定学生服が無い学校の生徒さん向けに学生服を販売している、このみという会社様の相浦社長様です。先日、マツコデラックスさんのマツコ会議でも取り上げられた企業様で大人気。高校、女子高生、男子高生に大人気の会社様でいらっしゃいます。まずは、相浦社長社長様のご経歴をご紹介いたします。

昭和48年新潟県の妙高市旧新井市にお生まれになっていらっしゃいます。その後、平成12年に妙高市で創業され平成19年東京の原宿で制服専門ショップこのみをオープンし、今では大人気になっていらっしゃいます。高島屋でも販売開始になり、経済産業省のがんばる中小企業300社にも選ばれている企業でもいらっしゃいます。本日はよろしくお願いします。

相浦社長:よろしくお願いします。

新谷:では、最初のご質問ですが、ご出身は、新潟の妙高市でいらっしゃいますが小学校中学校は、どんなお子様でいらっしゃいますか?

相浦社長:本当に人口の少ない、雪ばかり降る田舎町で、小学校、中学校、高校と地元で育ち、何はともあれ野山を駆け巡るようなやんちゃな子どもでした。

新谷:ガキ大将のようなですか?

相浦社長:ガキ大将とまでは言いませんが、いろいろなことをやり、お叱りを受けた感じですね。

新谷:高校時代もやんちゃなような感じですか?

相浦社長:高校に入ったらだいぶやんちゃな部分は薄れてきたかなと思ったのですけど、やりたいことが高校から少しずつ変わってきたと思います。

新谷:高校の時のやりたいこととはどんなことですか?

相浦社長:やはりスポーツがすごく好きで、今まで中学生までは、スポーツも一生懸命やっていました。比較的スポーツとして強かったのですが、熱中するといことにはまっていきました。部活以外にも雪国なのでスキーにはまり、勉強そっちのけでそればかりやっておりました。

新谷:そうですか。スキーは、スキー場のほうですか?

相浦社長:アルペンスキーで、一番行っていたときは、ワンシーズンで100日くらい出掛けていきました。朝出掛けて帰ってこなかったこともあります。

新谷:アルペンということは、滑降や回転とかもやったのですか?

相浦社長:競技もやったのですが、どちらかといえばインストラクターみたいな技術的なところでやっていて、高校生の時からインストラクターとして教えていたという感じです。

新谷:なるほど、スキーをやられて学ばれたことは、何かありますか?

相浦社長:忍耐力ですね。

新谷:好きな言葉で忍耐と書かれていますね。

相浦社長:何はともあれ氷点下10度の中に出ていく心構えがないと出来ないスポーツです。さらに行ったら山の中なので帰ってこれないというのと、スポーツ全般に言えることですがうまくいかないから面白いですね。少しずつうまくなっていく過程がすごく面白くて、10年、20年といろいろなことをやってこられたのだと思います。

新谷:なるほど。今の社長様の気構えに重なっていると思います。その後、高校卒業後、紳士服の会社にお勤めになっております。それでよろしかったでしょうか?

相浦社長:そうですね。学校を卒業して、紳士服の量販の大手です。今では、アパレルと言ったらユニクロさんや、しまむらさんがありましたが、当時は先端に紳士服量販店がありましたので、そこに商売の秘訣が隠れているのではないかと考えまずはそこで就職して学ばせてもらったという形です。

新谷:なるほど、今の制服の原型は、そこでですか?

相浦社長:物の販売の仕方とか管理の仕方ですとか、利益の生み方なんてものは学ばせてもらいましたね。

新谷:なるほど。その後、平成12年に妙高市のほうで創業されますが、創業に至る経緯はあられたのですか?

相浦社長:当時、紳士服でやっていた時はアパレルというのは、ノルマがあったり報奨金があったりした時代でした。周りの同期より何倍と売りました。しかし、評価されるのは、1.1倍1.2倍という形で自分の実績に対しての評価が寂しく、独立志向は強かったので、独立のタイミングは常に頭にありました。

新谷:入社して何年目で?

相浦社長:4年目です。そこから少し修業をさせてもらっていますが。

新谷:早いですよね。

相浦社長:そうですね。本当に、学生の時から大阪に、叔父、叔母が婦人服店を経営しており、自分の家庭と全然違うなと思いました。やっぱり広いところで勝負をしたいと思っていたので早いほうがいいと思いました。

新谷:紳士服の会社でも大変成績を残していらっしゃいますが、営業力もあられたのですか?

相浦社長:お客さんにものを売るのが好きでした。実は、東京で有名な電気屋さんでウォークマンの販売を担当していたこともありました。

新谷:ウォークマン?

相浦社長:そうです。昔のウォークマンです。電化製品の。過去最高で1人で400台売ったことがあります。

新谷:すごいです。

相浦社長:ウォークマン1台2万円とかするので、1日で800万円。1人で売りました。本当に物を売るのが大好きで何を伝えれば売れるのか? 生まれついてもっていたのかもしれません。商売というのは、自分の天職かと思っております。

新谷:すごいですね。なんで400台も売れたと思ってますか?

相浦社長:1台1台売り上げて個数を誰が売り上げたと書いていたのですが、1台1台接客をしても200台が限界でした。普通の人が200台も売れることはないのですが、これ以上売るためには、当時、駅の中で実演販売をやられていた。実演販売の人たちは売り上げを取るために人が集まるまでやらないのですね。そこで僕は、修業をさせてもらいました。これを、電化製品屋さんで取り入れました。1回の接客で10台売れればいい。10回繰り返せば100台ですし、40回繰り返せば400台になりました。その接客方法が怒られたこともありました。そんなのは失礼だと。結果、お客様は、喜んでくれていましたし、そのやり方が認められないのであれば、やれるところでやろうと思いました。結果自分でやりましたけど。

新谷:すごいですね。その後創業されるのですね。これは、最初から学生服ですか?

相浦社長:いいえ、もともとは、婦人服です。ファミリー向けの量販店で3万人しかいない小さな町で創業したものですから、おばさん、おばあちゃんの肌着、靴下、パジャマまで取り扱う15坪くらいのお店で創業しました。

新谷:その後、学生服にいかれたのはいつくらいですか?

相浦社長:人口はどんどん減っていきます、売り上げもほとんどない状況でいろいろなところに挑戦しました。例えば、社交ダンスのドレスとかユニフォームを販売したり、寝具、お布団なんかもやりました。また、都内から有名なモデルさんを呼んでオーダーメイドの服20万円ぐらいのものを作って販売も行いました。ですけど、どんなカテゴリーでもいいので一番になりたかったです。一番になれると思ったのが制服でした。

たまたま、地元の唯一の高校が制服の自由化がされて、着るものが無いと。自由な制服が欲しいとなりました。私服なのでかわいい私服を着ればいいと思いました。心に刺さった言葉があって「高校生なのだから、私たちが一番かわいく映るのが制服だから制服が着たい」と言われました。だったら制服があったらよかったのかと聞いたら「自分が一番着たい制服を選ばれたら最高なんだ。ドラマとか映画に出てくるかわいい制服が着たい」と言われたときに気付きました。その子に、どんなものがいいか聞き、たまたまオーダーメイドしたのが始まりでした。

新谷:そうですか。それは、創業して何年目くらいの話ですか?

相浦社長:4年目ぐらいだと思います。

新谷:その後、制服が無い学校の方々向けの制服作りが順調に伸びていったのですか?

相浦社長:はじめは、オーダーメイドでしたので大赤字でした。友達に誰にも言うなと言い作りましたが、1週間後には友達を連れてきて頼まれました。大変だと思い、小さな制服メーカーさんにこういう需要があるから一緒にやらないかと提案しました。そこで、仕入れることから始まりました。会社も制服を作れるような会社では、ありませんでしたし、まずは企画の参加をさせてもらって、他メーカーさんで作って、仕入れさせてもらったのが始まりですね。

プロフィール

相浦 孝之氏(株式会社このみ)

母親が経営していた新潟県妙高市内の衣料店を継ぐ。2000年頃から、「なんちゃって制服」の販売が話題になる。2008年に原宿に出店、オリジナルブランドを立ち上げる。パリ、ローマ、ブラジル、中国、韓国などで制服のファッションショーを開き、注目を集める。