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社長に聞く! in WizBiz(経営者インタビュー)
第25回 松井 忠三氏(株式会社良品計画 名誉顧問)【前編】

更新日:2018年03月22日

今回は、「無印良品」を展開する良品計画の名誉顧問である松井忠三氏にお越しいただきました。
松井氏は、一時38億円の赤字を抱えるまでに低迷していた2001年に社長に就任。そこから業務を見える化する企業改革を断行することで、わずか1年で業績をV時回復させた功績は、多くのメディアなどでも取り上げられています。
偉大な経営改革を成し遂げた松井氏を支える、経営哲学とは? ぜひ、お聞きください!
 

本日の社長に聞くin WizBizは、松井忠三様でいらっしゃいます。まずはご経歴をご紹介致します。

1949年第25回 松井 忠三氏(株式会社良品計画 名誉顧問)【前編】5月生まれ。静岡県ご出身で、大学卒業後西友にお勤めになられ、その後1991年、良品計画に出向。取締役、常務取締役、専務取締役を担われ、2001年に良品計画、代表取締役社長にご就任されてらっしゃる、有名な松井社長様でいらっしゃいます。
松井社長様が社長にご就任してから、かの有名な無印良品が急速に拡大し、成長し、成功してらっしゃる社長様でいらっしゃいます。今現在は、良品計画の名誉顧問でいらっしゃるということになられます。先日もセミナーを松井さんにお願いをしまして、大変好評のうちに終わらせて頂いております。
本日は宜しくお願いいたします。

松井社長:宜しくお願い致します。

新谷:それでは最初のご質問ですが、ご出身は静岡ですか?

松井社長:そうですね。

新谷:静岡のどちらですか?

松井社長:静岡はですね、昔は韮山(にらやま)町と言いまして、現在では世界遺産となりました反射炉という、これがある施設でして、現在は伊豆の国市と言っておりまして、ちょうど私は韮山町の出身です。

新谷:なるほど。小学校中学校の幼少期というのはどういったお子様でいらしたのですか?

松井社長:私はですね、農家の18代目なので、その頃は田植えとか稲刈りとか、そんなものを手伝った記憶がありまして、なんかいつも嫌だなと思いながら、そうは言っても駆り出されるものですから、そんなことを手伝ってましたね。中学校からバレーボールを始めたものですから、そこからはバレー一筋という感じにならざるを得なくなりました。

新谷:18代ということは、凄い歴史のある農家でいらっしゃるのですね。

松井社長:そうですね、長いですね。

新谷:昔は地主さんとかそんな感じでいらしたのですか?

松井社長:そういうことではないのですが、自作農ということでずっと続いてますから、ちょうど私の息子が19代目で、孫が生まれてますから、孫が20代目です。ただ農家をやることはきっとないと思いますね。

新谷:そうですか、なるほど。高校時代はどんなふうにお過ごしになられたのですか?

松井社長:高校時代もね、もうほとんどバレーボール一筋でした。ちょうど我々の一世代上の頃には、全国大会7連覇をやった学校だったんですね。ですから、非常に練習が厳しかったと思います。そんななかで過ごしてきたものですから、どちらかと言いますと教師になってチームを率いて国体インターハイに出たいなと、こんな風に道を進んだのです。ですからほとんど記憶に残っているのは、バレーボールの活動くらいしかないですね。

新谷:そうですか。バレーの選手としては、ポジションはアタッカーだったのですか?

松井社長:そうですね。身長も177cmとそんなに大きくはないのですが、実はジャンプ力が結構あって、走り高跳びで県大会に出たりしてましたから。ですから、バスケットボールのリングなんかは、軽くダンクでシュートするくらいのことは出来ました。

新谷:凄いですね。その後今の筑波大学、それも体育学部ということで、運動が大変得意でバレーボールが本当にお上手で、そのまま筑波大学に入られたということですね。

松井社長:私が入った時は、東京教育大学という風に言っていました。教科は正直に言うとなんでも良かったのですが、教師になって、自分も出てチームを率いて国体に出たいなと、こんなことがきっかけで実は進んだわけです。

新谷:そうですか、では大学時代もバレー部に所属して、体育会系というやつでいらっしゃいますね。

松井社長:ええ、そうです。

新谷:あの社会人の方のバレーボール部には進もうとは思わなかったのですか?

松井社長:私はですね、大学の1年生、2年生の時にデモに参加して逮捕された経験があるんです。

新谷:そうなんですか。

松井社長:ええ、それで教師の道も自動的にダメになって、一般社会人の道に入るということで、それで西友に入社しているんですね。ですから、バレーボールで一生食べていくっていうほどの選手でもありませんでしたから、教師でやるくらいのことでしか考えていなかったですね。

新谷:そうですか。いわゆる、安保闘争とかああいう……。

松井社長:そうですね。ちょうど1970年の全共闘運動の盛んな頃ですね。

新谷:そうですか。ちょっと存じ上げない部分があってびっくりしました。西友を選ばれた理由は何かあられるんですか?

松井社長:そうですね、当時は流通革命というのが非常に盛んになってましてね。ダイエーの中内さんが、流通革命ということで先頭を走っていたんですよね。そんなこともあって、私は逮捕歴もあるので、たまたま受けた西友が、そういう活動歴もあるということで、面接をして頂いた人事課長も、京都大学の全学連のリーダーでしたからね。そんなこともあって、おおらかに採って頂いた。それで西友に進んだということですね。

新谷:なるほど、そうでいらっしゃいますか。その後順調にご出世されてらっしゃいまして、なにか出世のコツとかそういうのがあれば。

松井社長:そんなことはなくてですね。私は西友に18年いまして、良品計画に移って24年なのですけど、西友時代は私は人事部で長く過ごすんですけど、70人くらいいたんですかね人事部には、ほとんど主流派にはいませんでしたね。そういう意味では学生運動やったりするので、反権威みたいなのが結構あったんですよね。西友で課長になったのは41歳ですから、かなり遅かったですね。それで良品に移ってからも人事ですね。使いにくいということで、それがきっかけですね。

新谷:全く想像つかないですね。今の松井のセミナーを聞いても、本を読んでも、素晴らしいというか大変勉強になるので。左遷されたのですか?

松井社長:そうですね。使いにくい社員だったと思いますよ。主流派にいる人達ってどうしても上を向いて仕事をするんですね。ですから、人事部にいても、商品部とか販売部の専務とか常務の要求にそのまま屈しちゃって、人を動かすようなことをしていたので、僕はそれを決して良くないと思ってまして。そういう意味では、西友時代はどちらかというとほとんど主流派にはいなかったと、そういうことだと思います。

新谷:そうですか、びっくりするお話です。良品計画にご出向される時、いま左遷というお話ございましたが、なにかお気持ち的には嫌だなとかそういうのはあられたんですか?

松井社長:そうですね、18年入っていまして、私が性格的に転職をするという価値観がなく生きてきました。結果的に西友と良品で、ほぼサラリーマン人生は終わっている訳ですから。そういう意味では、社命ではありますけど寂しいっていうのは最初にきました。その時にですね、人間模様は非常によく見えましたね。片道切符ですから、これで松井も終わりだろ、と掌を返すような態度をする人と、そうではない人と、2つに分かれますね。これはもの凄く勉強になりましたね。

新谷:どういうタイプが掌を返すといいますか、そういう感じになられるのですか?

松井社長:どうでしょうかね、比較的自分にとって得になるかどうか、こういう付き合いをしている人は多分そうなりますね。ただやっぱり本質的に付き合ってくるという人は、そういうことはないですね。

新谷:そうですか。では良品計画に入られてからまさにトントン拍子という言葉が正しいのかわかりませんが。

松井社長:そうですね。当時西友は1兆円を超える売り上げで、無印は行ったとき245億円で、1/40のですね。通常ですと、西友の課長ですから、良品に行けば最低でも部長というクラスになるんですね。でもやっぱり同じ課長なんですよ。けど、小さな会社だったので実績をあげなきゃいけない。それはわりかし出来たと思いますね。ですから、1年で実は部長にしてくれたんです。その翌年に、実は取締役にしてくれたんですね。だから良品に行ってからはもの凄いスピード出世をしましたね。

新谷:経歴を見てみると、1、2年でどんどん上がっていく感じでいらっしゃって、凄いです。
それはやはり、実績を出されたからですか?

松井社長:そうですね。どうですかね、ご機嫌伺いをして、ステップアップをしていく人達が非常に多かったんです、西友という会社は。僕はそれと正反対だったので、でもそれで腐っていてもしょうがないので、ちゃんと実績を残すというのが、自分の生き方そのものでしたので、そこは結構頑張ったと思いますね。

新谷:一番最初に課長として良品計画側へ入った時は、立場的にはなんの役割を担ったのですか?

松井社長:総務人事部長ですね。

新谷:では採用をうまくやられたとかそういう感じですか?

松井社長:そうですね。いわゆる転籍っていう業務がありまして、人事制度を作って自前の社員を採用して、労働組合を作ると、まあこんなことがミッションになります。転籍自体そのものは一年で終わったんです。ただ転籍って業務はなかなか大変で、西友と労働組合の人達の全面接があるんですね。行くか行かないか。

結論から申し上げると、関西から来た人はほぼ全員西友に戻った。したがって翌年は50名採用しましたからね、実に1/4が新入社員でやらなきゃいけない。こういう会社になったんですね。良いとこどりすると、移行原資というのが、膨らんでしまうので、この時に1億くらいかかったんですよ。そうするともう経営にならないので、実際は50万ですから、移行原資無しで、転籍という業務をやったんですね。その代わり5年くらいの間でこれを休止する、ということになるんですけども。そんなことが一番大きなきっかけだったと思いますね。

新谷:部長になられてからも、人事関係の?

松井社長:はい、そうですね。部長も総務人事でそのままやりました。

新谷:その後常務、専務と上がられるわけですが、そうなってくると範囲が広がってくる? 

松井社長:そうですね。常務になる前に、総務人事の取締役から、営業本部長という仕事で、これが範囲が一番広くて、社員も8割くらいここにいました。そこをやって、その後常務は物流の部長です。専務は今でいうネット販売とかね。インターネットに入っていく、したがってそこの会社を作りましたからね。そしてそこの社長をやったりと、その専務時代ですね。

新谷:じゃあある意味部長になられた以降、いろんな分野を経験されるという形でいらっしゃいますか?

松井社長:ええ、そうです。それまではほとんど人事一筋できたのですけど、そこから先は色んな分野を、山のようにやりましたね。

新谷:なるほど。部長になられたのがおいくつの時でいらっしゃいますか?

松井社長:部長の時がですね、43です。

新谷:なるほど。では44以降くらいが、色んな分野をやり始めたという。

松井社長:44が取締役になった歳で、ようやく取締役になったと思ったら営業本部長の異動でしたからね。厳しいな、これでそろそろ終わりかな、というくらい激しく動いた。

新谷:でもその営業本部長としても成果は出されたので、専務となったわけですよね?

松井社長:営業本部長の頃は、私の実力というよりは、右肩上がりでしたからね。毎年3割くらいの増収、増益を続けてましたから。私も予算を落とすということは全く無くやってきたんですけどね。

新谷:素晴らしいです。その後、良品計画の代表取締役社長に2002年になってらっしゃるわけですが、それは社長を交代されるきっかけというのはあったのですか?

松井社長:良品計画は2000年にですね、初めて減益という経験をするんですね。ですから2000年の2月の末の株価って17,350だったんです。その時にやはり減益になりましたから、株価は一株1/6になって、1750まで落ちてしまうんですね。そんなこともあって、私の前の2代目社長が急遽辞めることになって、それで急遽社長になる、というのがきっかけですかね。
最初はなるつもりも全くありませんし、なんか青天の霹靂みたいに、突然社長という辞令がおりてきたものですから、正直にいうと一番重い荷物がきた、というのが当時の率直な感想ですね。

新谷:では、ご抵抗というか、嫌だと断るとかそういうことはあったのですか?

松井社長:それは断れませんでしたね。言われた以上は、受けざるを得ないので。それはしょうがないので、ハイという返事はしました。それから1週間後が記者会見でしたからね。記者会見で気の利いたことは全く言えなかったですね。

新谷:なるほど。その後社長に就任されて、いわゆる今の無印良品の基礎、礎を築かれてらっしゃるんですが、色々な苦労があられたと思います。どんな苦労がありましたか?

松井社長:そうですね、色々なことがありました。セゾングループがなくなる前なものでから、その原資がファミリーマートと無印計画の株だったんですね。成長性をあげなきゃいけませんから、通常の年の10倍くらいの出店をする。これが見事に失敗をしていく訳ですね。したがって赤字のお店と、それから海外もものすごい赤字を叩き出しました。こいつをとにかくリストラをしなきゃいけない。人員の整理をやらざるを得ない。まあこんなところに追い込まれますね。
それで、在庫が山のようにありましたから、当時で38億の原価、100億の在庫を燃やすという処分をするとかですね。あるいは、品質が非常に厳しかったですから、品質でものすごいクレームがくる。したがって品質を直さなきゃいけない。そんなことでですね、出血をどんどん止める、というのが当時1年でやった内容ですね。

新谷:いっぱい過ぎて凄く大変だったんじゃないかと思います。社長に就任された1年目なんてのは、ほとんど家に帰れないとかそんな感じだったのですか?

松井社長:そうですね。半年間休みなしでやろうと思っていたので、本当に半年間休みなしでやりましたね。

新谷:逆にそれくらいやらないと、改革できないという形だったのですか?

松井社長:そうですね。やっても上手くいくかどうかわからないですね。なので1年間くらいは先にあがりが見えない日々が続くわけですね。ですから、やっていることが復活に結びつくかどうかわからない。
結論から言うと、リストラで会社が立ち直ることもない、と気付くのですが、当時は1年くらいはほとんどリストラばかりでしたね。2年目くらいになると、少し先のことを見ていかないと、対応がリストラでは立ち直せない、と段々気付いてきますから。ですからそんな手を2年目以降は少しずつ打っていきました。
こんなことでしょうね。

新谷:なるほど。

プロフィール

株式会社松井オフィス 代表取締役社長
株式会社良品計画 名誉顧問
ほか社外取締役多数
松井 忠三


西友時代は主に人事畑を歩み、各種制度の構築、幹部社員の意識改革研修等を担当する。良品計画に移ってからは、人事・営業・物流・インターネットビジネスを担当。  2001年、急激な業績不振の責任を取って退任した前社長のあとを受け、急きょ社長に就任。38億円の赤字を経て大掛かりな経営改革を断行。一時は撤退したアジアにも再出店。 創業以来11年続いた海外の赤字も2002年には黒字に転換させ、現在25の国と地域に300店舗を展開する礎を築く。