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社長に聞く! in WizBiz(経営者インタビュー)
第23回 中島 康博 氏(メガエフシーシステムズ株式会社 代表取締役社長)【前編】

更新日:2018年01月30日

今回は、複数のFCビジネスを展開するマルチフランチャイジーとして有名な、メガエフシーシステムズ株式会社、中島社長にお越しいただきました。牛丼の「吉野家」9店、「牛角」6店、とらふぐ料理専門店「玄品ふぐ」1店など、計25店のFC経営をしていらっしゃいます。
中島社長は座右の銘で挙げられていた「当たり前のことを当たり前にする」、凡事徹底の考え方を、まさに体現されている社長様です。皆さんもぜひお聞きいただき、経営者としての在り方を改めて見つめ直すきっかけとしていただければと思います!
 

中島 康博 氏(メガエフシーシステムズ株式会社 代表取締役社長)新谷:今回の社長にに聞く! in WizBizはマルチフランチャイジーで有名なメガエフシーシステムズの中島社長様です。まずは、経歴をご紹介させていただきます。1953年神奈川県生まれ、立教大学を卒業後さとに入社、現在のサトレストランシステムズにご入社されております。ここでチェーンストア理論の基礎を学んでいらっしゃいます。その後吉野家に入社し、一時期ボストン大学留学、吉野家を退社後、中島商事に入社、2000年から代表取締役社長にご就任され、名称変更しメガエフシーシステムズ株式会社となっております。マルチフランチャイジー業界では大変有名な企業で牛角、吉野家、玄品ふぐなど合せて25店舗の展開企業の社長様をお呼びいたしました。

新谷:それでは、最初の質問をさせていただきます。ご出身は神奈川県で?

中島社長:はい。神奈川県です。

新谷:小中学校時代の幼少期はどのようなお子様でしたか?

中島社長:意外とテレビっ子でした。ちょうどテレビが普及する頃に生まれたのであまり外で遊ぶような子ではなかったです。

新谷:そうでしたか。社長様でいらっしゃいますから快活的なイメージを持っているのでしたが・・

中島社長
:今でも人見知りで、立食パーティーに行くと一人の方と話していて次の話題に切り替えることが出来ないのです。そのため、いつも数名ぐらいの方としか会えないです。子供の頃からそうだったのだと感じております。

新谷:テレビはどのようなものを見ていらっしゃいましたか?

中島社長:アメリカの番組で、かなり影響されました。今も、アメリカの色々な文化に影響されています。

新谷:高校時代はどのような学生でしたか?

中島社長:落語家になろうとした時期がありました。落語研究会に入って、小噺程度ですが学んだ記憶があります。

新谷:今でも、落語をやろうと思えばできるのですか?

中島社長:小噺でしたら。

新谷:今の姿から想像ができませんね。

中島社長:やはり、出たがりみたいなところが正直ありまして、人に笑ってもらうのが好きでサービス業に向いていると感じております。

新谷:社員さん向けに落語を話すことはあるのですか?

中島社長:それはないです。ただ介護事業をやっていますのでおじいちゃん・おばあちゃん向けに行ったのですが全く受けなくて非常につらい思いをしました。

新谷:その後、立教大学へ行かれていますが、選ばれた理由はあったのですか?

中島社長:実家が魚屋でしたが、立教大学はどうのであろうという気になりました。憧れもあり、こじんまりしているみたいなところに好感を持ちました。

新谷:大学時代どのようにお過ごしでしたか?

中島社長:今更、勉強したとは恥ずかしくて言えないです。仲間とディスクジョッキーを立ちあげて、放送系機械と違って自分たちの好きな音楽をいろいろなサテライトへ行って流させていただきました。基本、出たがりの部分が手伝っておりました。

新谷:中島社長様の始めてお聞きするようなお話で、多才でいらっしゃいますね。

中島社長
:多才というよりマスコミュニケーションに興味があったので。当時、僕らの世代ではフォークソングが流行っていた時があり、フォークシンガーを呼んでお金儲けをした経験もあります。正直、女の子にモテたいというのもありました。

新谷:卒業後、サトレストランシステムズにご就職されていますが、選ばれた理由はございますか?

中島社長:もともと、魚屋から和食屋の店をドライブイン形式でやっていることがあり、全く僕にとってはチェーンストアという概念がなく、現場を知らないといけないと思いました。少なくとも包丁が出来ないといけないと思い、大阪の叔父に紹介されて、飲食店に入りました。

新谷:サトレストランシステムズではどんなことを学ばれましたか?

中島社長:店舗のオペレーションから、調理、ホールなど何でもやりました。半年後に、セントラルキッチンに移動になり、全店のソースなどの加工をやりました。ガリバー旅行号みたいで見張り場の親方みたいなことをしながら作っていました。そこでチェーンストアはこういう事と実践として学べました。

新谷:なるほど、その後、吉野家に入社しておりますが何か理由はあったのでしょうか?

中島社長:大きな理由は吉野家のFCの加盟の一号でして、既に先代が加盟しておりまして、後継者として事業を継ぐのであれば、まずは魚を捌けるようにしないといけないことと、吉野家のチェーンストア理論を学ぶために入社しました。

新谷:吉野家で10年ぐらいおりましたが、吉野家ではどのようなことを学びましたか?

中島社長:ものすごくインパクトがあり、チェーンストアの概念はもともと、飲食は水商売といわれている事業で、一般の人からは地位が低く見られていました。サトも含め、ストアの勉強をする上で非常に科学的なこと、感覚で盛り付けるのではなく規定量を盛り付けたりする。牛丼でいうと、肉を投入するたれの温度やご飯の量は何gなど、どんぶり勘定ではないとびっくりしました。そこでスイッチが入りました。水商売の部分ではなく科学されていてきちんと事業として成り立つようなことの明快な部分が勉強出来たのが大きかったです。

新谷:そうですか。吉野家のインダストリアルエンジニアリングを投入し、科学的に行っております有名な企業なのでそういう部分では、なるほどと感じました。当時から科学的な文化を取り入れていたのですか?

中島社長:そうです。外見はあまり格好よくなかったのでしたが、コンピューターも導入しておりました。最初、吉野家に入った時の店長が今の会長の阿部さんでした。長いお付き合いをさせてもらっています。そして、驚いたのが棚棚卸しを1日に3回やるのですよ。

新谷:3回もやるのですか?

中島社長:なぜかと申しますときちんといい商品が出ているのか、規定量が守られているのか、1kgあたりのお肉が正確に盛られているかなど本当に感動的でこれは飲食ではないと思いました。

新谷:そうでしたか、初めてお聞きしますし、大変勉強になりますね。今のマルチフランチャイジーの事業に活きてきているのですか?

中島社長:実は、いま行っているマネージメントという言葉があてはまるのか分かりませんが、管理項目の基本は全て吉野家からです。人事管理、労働生産性、分配率などすべて吉野家からです。

新谷:なるほど。

プロフィール

中島 康博
メガエフシーシステムズ株式会社 代表取締役社長

牛丼の「吉野家」9店、炭火焼肉酒家「牛角」6店、とらふぐ料理専門店「玄品ふぐ」1店、こだわり かつ丼「かつさと」2店、介護施設(デイサービス)「茶話本舗」6事業所、高齢者専門宅配弁当「宅配クック123」1店舗 計25店のFC経営。
新たな業態を続々と開発中。そして何人の起業家を育成できるかに挑戦中。