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社長に聞く! in WizBiz(経営者インタビュー)
第21回 前田 出 氏(一般社団法人 協会ビジネス推進機構代表理事)【前編】

更新日:2018年01月30日

今回は、協会ビジネスの第一人者である、前田出様にお越しいただきました。ホビークラフトで作り上げた認定講師が活躍する仕組みをビジネスモデルとして、2007年より他の業態に「新・家元制度」を提唱されています。
ミュージカル劇団、街づくり、インテリアコーディネーター、選挙のプロデュースなど……様々な経験が現在のビジネスの成功につながっていくストーリーは、大変興味深い内容となっております。

前田先生の語る、事業を大きく発展させるための「仕組みづくり」とは? 企業成長を目指す経営者の皆様は必聴です!
 

前田 出 氏(一般社団法人 協会ビジネス推進機構代表理事)新谷:本日の社長に聞くin WizBizは、私の尊敬する社長様のお一人、前田社長様です。まずは経歴をご紹介します。
前田出様、1954年生まれ。協会ビジネスの第一人者であり、新・家元制度というのを発祥されております。和歌山市生まれで長崎大学水産学部卒業。その後、マニフェスト選挙の先駆けなどを生み出され、株式会社コロネットを設立、押し花の認定講師制度の仕組みを作り成功されて今は、新・家元制度のビジネスモデルを推進されてらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。

前田社長:よろしくお願いいたします。

新谷:最初のご質問ですが、ご出身は和歌山市で?

前田社長:はい、和歌山市です。

新谷:小学校・中学校は、どのような幼少期をお過ごしでしたか?

前田社長:小学校・中学校と結構優等生で、小学校の頃から生徒会長をやっていて、先生に気に入られる子でした。高校に行った時にいい子をやるのがしんどくなってきました。成績も中ぐらいでした。井の中の蛙で、大したことないと実感しました。

新谷:そうでしたか。和歌山の進学校とはどちらで?

前田社長:桐蔭高校というところです。和歌山中学校というところにいまして、一番進学校として有名だったところに行きました。

新谷:大学は長崎の方で、水産学部で理系だったのでしょうか?

前田社長:理系でした。選んだ一番の理由は、高校に行って大したことがないという自分の実力分かり、普通のデスクワークはやりたくなく、農学部か水産学部に行きたいと思い、水産学部の海洋学部というのを長崎大学が初めてやりましたので、そこへ行きました。

新谷:なるほど。全然今のお仕事と違う学部でいらっしゃいますよね。元々、水産学部から何か目指す夢はあったのですか?

前田社長:その当時、クストーという一番潜水で有名な方がいて、海に潜ると言うことと海洋学をやりたいと思い行ったら、長崎大学海洋学部という名前だけで水産学部で元々は濾過で全然やりたいことと違った。水産学部で一番面白いことは船に乗ることと聞き、3年生の時に新造船が出来ると聞き、その船が出来たら世界一周行けると聞き、1学年で100人いましたが、僕が呼びかけて、「みんなで留年をして、その船が出来たら世界一周乗ろうぜ」と言ったら、10人一緒に留年しました。そうしましたら、丁度オイルショックになってしまい船が出来なくなってしまい、ただ留年しただけの5年間で長崎大学に通いました。もちろん、船に乗っていろいろな所に行ったのですけど世界一周は出来なかった。

新谷:なるほど。大学卒業後は普通に就職でいらっしゃいますか?

前田社長:就職するときに、水産の人たちなのでは関心がない人たちばかりが集まっていた。船に乗る仕事関係なしに、大阪のアイスクリームの卸しをやっているところに入ったのですが、半年で辞めました。サラリーマン生活は半年間しかやったことがないです。

新谷:そうでらっしゃいますか。全然面白くなかったということでしょうか?

前田社長:何をやっているかも分からずに入って、やる仕事も見習いですからトラックでアイスクリームを運ぶ営業の見習いという前段階で辞めてしまった。

新谷:なるほど。そのアイスクリーム屋さんを辞められたあと独立ですか?

前田社長:父が前田商店という黒板屋をやっていて、とりあえず家に帰ればなんとかなると思い、行ってみたら超零細企業でなんともならない。丁度結婚を考えていました。結婚して超零細企業のところに入って、ここも頑張る気もなく、何かおもしろいことはないかと思い、アマチュアのミュージカル劇団に入りました。25歳から32歳ぐらいまではミュージカル劇団を中心に動いていました。

新谷:大変変わった経歴ですし、今の前田先生からは想像がつかないですね。失敗話になるんですか?

前田社長:そうですね。前田商店の給料は年収200万もないくらいで、頑張ろうという気も全くなく、嫁さんが保母さんをやっていてそちらの収入のほうが多かった。週末のミュージカルで小椋佳さんを口説いて曲を書いてもらい、ミュージカル劇団は全国ツアーをし、サントリー地域文化賞をもらいました。10年間で10万人動員した。アマチュアでも最高動員した劇団になりました。

新谷:すごいですね。

前田社長:そこのキャストとプロデューサーをやっていたのですが、そっちのほうがおもしろく、本業は全く収入がない状態が32歳まで続きました。

新谷:そうでございますか。ミュージカルのほうが成功して今の前田先生の片鱗を少し見せていただいているような気がします。ミュージカルを辞めたのが32歳ですか?

前田社長:僕らは、ミュージカルの全国公演をしていてとても楽しかったのですが、和歌山の人が楽しそうに見えて、丁度まちづくりブームがありまして、建築家の方々と何かやろうということになり、和歌山で大きなイベントを3回して、2000〜3000人位を動員するイベントを作れたのですね。それとミュージカルを同時にして、人を動かすということが面白く感じました。32歳の時に真面目に仕事をやろうとおもい、株式会社アイシーエスというのを作った。32歳にして仕事をやるモードになった。

新谷:なるほど。アイシーエスさんは何を目的に事業をやろうと思ったのですか?

前田社長:もともと黒板をやっていて学校の黒板だけでは全くダメで先生宅のカーテンやインテリアをやっていました。一番最初にインテリアコーディネーターの資格を取ろうと思い受けたのですが、当時は第3期で世間にまだ知られていないそれを取った。まちづくりに参加していたのは男性ばかりで女性を参加させるには「自分の自宅で何かさせればいい」と考えインテリアコーディネーターシステムを発案し、頭文字を取ってアイシーエスとした。今の協会ビジネスの原型がインテリアコーディネーターの養成講座を地元の新聞社と組んで行ったのが一番最初でした。

新谷:そうでらっしゃるのですか。今から35年前くらいには協会ビジネスの原型が出来ていたのですね。

前田社長
:講座を作り、「インテリアコーディネーターという資格を世間に周知するために資格をとりましょう。」そして、資格を取った人を組織化して企業とタイアップする事業を始めた。

新谷
:初めて聞きました。外ではそのようなお話はしゃべらないですよね。その事業は大成功されたのですか?

前田社長:1回20人ぐらい集めて、4回80人ぐらい、資格を取った人を纏める。資格を持ってない人も女性の企画力を会社に活かしませんかと提案して。自分の委託をするのはおもしろくないので商業施設のプロデュースをしようと思い、いかに集客をするか、イベントをやるか、会員化するか検討し、ちょうどTSUTAYAさんができた頃だったので、和歌山でも同じようにビデオ・本合わせたレンタルの業態を全国で120店舗を作りプロデュースをしました。

新谷:TSUTAYAのプロデュースですか?

前田社長:いいえ、同じような業態で和歌山でイワキというところでやった。もともとレコード屋さんのビジネスモデルをTSUTAYAと同じような感じで作った。

新谷:いまのお話を聞くと、協会ビジネスの原型がミュージカル、まちづくりやインテリアコーディネーターの起用でそのまま発展していったようですね。

前田社長:僕の中ではもうひとつ、選挙のプロデュースというのがある。インテリアコーディネーターのFCのビジネスモデルを作っていたが、たまたま選挙のプロデュースを頼まれて受けたのですが、町長さんが衆議院選挙に出馬したのですが、その人がとても目立たない人で。当時は中選挙区で、一つの選挙区で同じ党の中から何人でも候補者が出た。埋没してしまう人でしたのでいかに目立たせるかを考え、プロデュースをするにあたり青年部や婦人部を作るとか、スポットライトを当ててしゃべらすとか、衣装を揃えるとか、送り出しの者を並ばす等、いわゆるミュージカルでやるようなことをそのまま選挙に持ち込みましたら、候補者は落ちたのですが選挙区自体が話題になり、選挙プロデュースの依頼がいろいろな所から来ました。

新谷:どのくらいきたのですか?

前田社長
:15回くらいです。市長選、知事選、県会議員、そういういろんな種類の選挙をやってきました。

新谷:お話を聞きますとまさに新・家元制度は青年部とかは会員制度ですし、スポットライトを当てるみたいなのはミュージカルなのですべて家元制度に繋がりますね。

前田社長:やってきた中で、ミュージカルにいかに観客を動員させるかを考え、選挙の部分では組織を作り、それぞれの思惑の違う人をどう動かすかを考え、選挙の公約を作り、未来を約束させるかそういうことが組み合わさり、30代ぐらいにやったビジネスが繋がってきています。

新谷:なるほど。選挙のプロデュースをやってから家元制度の発表をするまではどれくらいかかったのですか?

前田社長:選挙をやったのが32〜40歳ぐらいまでの間で選挙の中でも和歌山知事選のプロデュースをやったのですが、すごい戦いでした。結局負けたのですが、和歌山に居られなくなるくらいの締め付けがありまして。それで旅に出ようと思い、そこで押し花をやっている人間に出会い面白いという話になり、協会ビジネスが始まり出しました。

新谷:なるほど。それが株式会社コロネットですか?

前田社長:作る前です。その時出会った者が、日本ヴォーグ社という出版社で押し花のプロデュースをしていた。共にコロネット作った伊東琢磨というパートナーがここの責任者でした。出会ったのがその時選挙で負けて放浪していた頃。

新谷:なるほど。放浪していた時は奥さまは?

前田社長:いいえ、和歌山にいて一緒ではなかったです。ミュージカルやっている時も和歌山にいてくれて基本的に好きなことをさせてくれました。

新谷:素晴らしい奥さまですね。

プロフィール

前田 出(マエダ イズル)

1954年1月5日 和歌山市生まれ
一般社団法人 協会ビジネス推進機構代表理事
神戸山手大学 客員教授
書籍・映像などの著作

「社会に良いことをしながら儲かる仕組み」として、協会ビジネスモデルを提唱。2020年までに、年商1億円の協会を200作り、10万人の認定講師が活躍する社会を実現させる。