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第19回 三原淳氏(株式会社mammaciano代表取締役)

更新日:2017年09月14日

本日お越しいただいたのは、日本トップクラスのコインランドリーフランチャイズビジネスを展開する、株式会社mammaciao代表取締役の三原淳社長にお越しいただきました。今や急成長を遂げ、社員14名にして一人当たりで売上高1億円を実現する企業! しかし創業当初から順風満帆な出だしではなかったとのこと。苦境でもあきらめずに事業を成長させ続けた三原社長の信念とは?
 

第19回 三原淳氏(株式会社mammaciano代表取締役)新谷:皆さんこんにちは。本日の社長に聞く! In WizBizは私の大好きな大好きな社長のお一人、三原社長様です。まずは経歴をご紹介いたします。
ファイザー製薬に入社後、スーパー大江販社、印刷会社、を経てコンサルタントビジネスに携わってらっしゃいます。
今現在は、独立し有限会社会社MISを2000年に設立。同年にマンマチャオのフランチャイズ展開をはじめられてらっしゃいます。
今現在トップクラスのコインランドリーママちゃんを展開している社長様でいらっしゃいます。
本日は宜しくお願い致します。

三原:宜しくお願いします。

新谷:まずは最初のご質問です。ご出身は東京でらっしゃいますか?

三原:そうですね。東京の、品川の、荏原中延の、踏切の脇の四畳半一間で生まれたらしいです。

新谷:私の住んでいる地域と本当にまるかぶりですね。小学校、中学校はどんなお子様でいらっしゃったんですか?

三原:私4歳までしか荏原中延に住んでいませんで、それから横浜に越して父がタイル工事の職人でございまして、母専業主婦で。そうですね、凄く体が弱くて、小児喘息であんまり小学校1年2年と学校に行かなかったんですね。

新谷:そうですか。

三原:それから、小学校3年の時に治りましてですね。ちゃんと学校に行き始めてですね。割と人前に出るのが好きだったので、学級委員長的な役を3年生、4年生、5年生、6年生はやっていたという感じですね。

新谷:優等生でいらっしゃいますね。

三原:勉強はできなかったんですけど、人前でしゃべったり、仕切り屋だったり。という人間でしたね。

新谷:じゃあ今の事業説明会でしゃべられるのとほぼ一緒でいらっしゃいますね。

三原:そうかもしれないですね。

新谷:高校大学は、神奈川の方ですか?

三原:そうですね。高校は県立鶴見高校という高校に行きまして。一応、進学校で偏差値が当時60くらいでしたね。若干ヤンキーでして、ヤンキーなのに進学校にいるという変わったところでございました。

バレーボール部に1年間だけおりまして。私身長が高くないもので、むかないっていうのを入ってから気付きまして、すぐやめました。そこからは帰宅部という感じです。

新谷:ヤンキーで頭いいというのはなかなか経営者向きだと、そこでも感じます。大学の方は専修大学でいらっしゃいますね。何か学校を選ばれた理由というのはあられたんですか?

三原:いや、当時バブル絶頂だったので、僕昭和61年入学なのですが、現役でどうしても大学に行きたかったんですよ。勉強できなかったので、浪人もしたくなかったので、そこで片っ端から受けて、受かったのがここというだけであまり考えてなかったですね。

たまたま経営学部というところに行ったんですけど、会社を経営するようになってから、僕、経営学部に行ってたんだなと。なんの役にも立ってないんですけれども、経営学部に行ったというところでございます。

新谷:なるほど。大学ではどんな学生生活を送られてたんですか?

三原:まあ、ひどいものでしてね……。あまり大学に行かずに、ほとんどアルバイト三昧でした。月に20万くらい稼いでいましたからね。

新谷:すごいですね。どんなアルバイトをしてらしたんですか?

三原:ウェイターです。ウェイターの派遣です。配膳人紹介所というところからですね、ホテルに派遣されていました。ホテルの社員だけでは間に合わなくてですね。紹介する会社さんに私が登録をしていまして、今日はこのホテル、今日はあのホテルだとか、結婚式のウェイターだったりとか、レストランのウェイターさんだったりとか、そういうのに派遣されて行っていましたね。

新谷:今のお仕事とは全然違うお仕事ですね。

三原:全然違うお仕事です。まあ、アルバイトですからね。

新谷:なるほど。その後製薬会社にお勤めになってますが、ちょっとこの辺があれっという感じですが、何か製薬会社さんを選んだ理由というのはあられたんですか?

三原:本当にこの辺を聞かれると厳しいことばかりなんですけれども。当時、どこでも受かったんですよ。バブル絶頂で、私平成2年入社ですよ。本当に弾けるぎりぎり前だったので。

そんな中外資系の製薬会社というのは、実力主義だと聞きました。そんなに勉強ができるわけじゃなかったのに、なぜか自信過剰な部分があって、きっと僕、いけるんじゃないか? と思いまして。だから外資系の製薬会社入って、先に出世してやろう。他人よりたくさんお金もらっちゃおう。そんなことがあってですね、外資系の製薬会社を選びました。

もう一つは、私は得意でないけど英語とかが好きで、大学の時に少しだけ語学研修したことがあったんですね。英語を活かした仕事をするには、外資系の会社に行ったら英語を使う時があるんじゃないか。アメリカに行けるんじゃないか。と変な錯覚を持ってですね。

その会社実は逆でして、向こうから人がきてこっちからは行けないと後になって気付くんですけども……それで外資系の製薬会社の会社に行ったという次第でございます。

新谷:そうでございますか。製薬会社はいかがだったんですか?

三原:まあ大変でしたよ。英語を使うどころか営業をするどころか、営業というよりかは、要はどれだけドクターと仲良くなるか。もっと嫌な言い方すると、ドクターの犬になるか。シャーペンカチカチッってやって芯が無くなると、はい、買ってきて。みたいな。そんな感じでしたね。

ドクターの世話を焼いて、車のカギ渡されて修理してきてとかね。そういうのずっとやって仲良くなって、それでやっと薬が出るみたいな。

あとは一緒にご飯食べに行ったり、ゴルフ行ったりスキー行ったりして、薬が出る。みたいな。そういう仕事をしていたので、本当に22、23の子がやるにはちょっと変わった営業だったなと感じでしたね。本当に営業命の会社でしたので、同僚、隣に座っている人もライバルみたいな。新人賞というものがあったので、もう新人全員ライバルみたいな。

当時はネットなんかはないんだけどネット通信みたいなのはあって。各自一個だけPCがあって、それで誰がいくら売っているのかわかったんです。

それで電話がかかってきて、薬やけに売れてるけど、どうやって売ってるの? って言ってきて、こうやってんだよと教えると、そうなんだありがとね。というのでお前はどうやって売ってるの? と聞くと、君はライバルだから教えない。と電話を切られてしまったりして。それくらい大変でした。

新谷:そうですか……。でも、営業成績がいいから聞かれるので、その当時はやはり営業力はあられたんですか?

三原:そうですね。たまたま営業はできていました。なぜ売れているかもわからず、プレゼンも上手じゃないし、けどなぜか売れている人間だったんですけども。

いま思うと、僕が嫌がっていたお医者さんの世話を焼くっていうのが、非常に気に入られて。
人となりが気に入られて、売れてたんだなと今になって思います。そんなに薬の営業上手じゃなかったし、プレゼンも上手じゃなかったけど、三原君、君面白いから買ってあげるよ。みたいなそういう感じだったのがありますね。

新谷:私が三原社長を存じているからですが、やはり三原社長には人柄というのがにじみでて、それが営業に繋がっていると、そういうわけでございますね。非常に素晴らしいですね。その後、10カ月で辞めてらっしゃる、これには何か理由があられたんですか?

三原:これがですね。先輩も当時僕がやっていた仕事の延長線上をやっておりまして、本当に朝は早いし、7時から病院に入って夜23時まで営業をして……セブンイレブンですよね。それで誰とも口を利かないんですよ。一人で営業に行って、一人で営業所に帰ってきて、ずーっと一人で……。

今思うと、それはそれで結構楽なんだけど、凄く寂しい気持ちになってしまって、うつ病になってしまって。ある日ある時会社に行けなくなってしまって。アパートの中でずーっと膝小僧抱えてましてですね。まあそんなこんなで辞めちゃうんですけど。

新谷:ではその後、引き籠もってた?

三原:そうですね。

新谷:どれくらいの期間……?

三原:どうでしょう……3カ月くらいですかね。

新谷:それで辞められた後は、スーパーで働いていたと?

三原:そうですね。

新谷:それはどうしてスーパーだったんですか?

三原:これは……全然皆さんのお役に立つ話じゃないんだけど、うつ病になってしまっているので、自分からどこかに勤めようという気は、さらさらないんですよ。それで私独り暮らししていたんですけども、アパートを引き払って、親と住んでいまして、当時23歳で。親はですね、勝手に履歴書出しちゃうんですね。

一番最初に送ったのがリクルートさんで、大学出たばかりだから筆記はできるんですね。筆記はできるんだけど、面接でうつ病の患者なのでしゃべれなくて落とされてしまう。

それでそのあと、とあるスーパーに行くんですが、このスーパーは僕はしゃべれないんだけど、あまりにも人が足りないので採用になるんですね。そんな経緯ですね。

新谷:素晴らしい親御さんですね。

三原:今思うとそうですね。

新谷:その後に貿易会社さんとか、印刷会社さんにお勤めになられて、コインランドリー機器の輸入会社様に就職されてらっしゃいますけれども。その頃の思い出はなにかございますか?

三原:スーパーはですね、自分が体を動かしていくうちにうつ病が治るんですね。やっぱり体を動かすとか、汗をかくとか。あとたまたま、改装工事のお店に行ったので、駐車場においてあるハンガーを毎日店舗に運んで汗をかいていたんですね。汗をかくとか、日光に当たるとかするとうつ病が治るんです。

それで治って元気になると、営業やりたいなと思うんですね。それでもう大企業嫌だなと思って、わざわざ一番小さめのOA機器販売会社に行って。大企業にいたんだから、中小企業は楽勝だろうという感じで。今でいう大塚商会さんとか、リコーさんとかの小さい中小企業に勤めました。

そこに行くと営業成績がまあまあ良いんですね。営業成績がいいので、友達がやってる印刷会社に一緒に営業やらないか?って引き抜かれて、そうこうしているうちに今度は輸入商社さんに営業やらないか? と引き抜かれると。そういうのが続いているんです。

新谷:なるほど。ヘッドハンティングにずっと合い続けているんですね。素晴らしいです。その頃のご苦労とかそういうのは、あまりされてらっしゃらないんですか?

三原:それを苦労と呼ぶのかわからないんですけど、売れないときはありますし、どうやったら売れるのかなというのはありました。途中結婚したり離婚したりもありましたし。そういうこともありながら、今思うと大した苦労ではなかったなと思います。経営者やってからの苦労と、サラリーマンの時の苦労とでは、まったくレベルが違います。

新谷:コインランドリー機器の輸入商社さんは、何年くらい務められたんですか?

三原:3年、4年くらいだと思いますね。

新谷:ではそこで学ばれたことを、そのまま独立に使われたと。

三原:基本的なところだけですね。フランチャイズ本部ではないので、洗濯機を輸入して、フランチャイズ本部様に営業して回るんですよ。今月はうちの使って? という風なお願い営業ですね。コインランドリーの洗濯機には、知識はあるということで独立してしまったというわけです。

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プロフィール

三原淳氏
株式会社mammaciano代表取締役


1967年生まれ。専修大学経営学部経営学科卒業、ファイザー製薬に入社。スーパー、OA販売会社、印刷会社、輸入商社を経て、コインランドリービジネスに携わる。オーナー視点に立った経営を目指し独立。

http://www.mammaciao.jp/