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第17回 渡部由紀子氏(株式会社 Be Unique 代表取締役)【前編】

更新日:2017年09月14日

本日お越しいただいたのは、株式会社 Be Unique 渡部由紀子社長です。大学卒業後、バンコクで日本語教師として勤務。帰国後に(株)リクルートでの営業職を経て、2012年に株式会社 Be Uniqueを立ち上げました。グローバル化を目指す日本企業の発展に貢献する、現在の事業に行きつくまでのストーリーとは? 女性社長の成功までの道のりを、ぜひお聞きください!
 

第17回 渡部由紀子氏(株式会社 Be Unique 代表取締役)【前編】新谷:本日の社長に聞く! in WizBizは私の大好きな社長様のお一人、渡部社長様です。まずはご経歴を、ご紹介致します。1973年生まれ。大学卒業後、日本語教師の道を選択。バンコクで一年間日本語教師を務められた後、ご帰国され、リクルートに入社。営業職を務めながら、週末には飯田橋のボランティアで、日本語を教えてらっしゃいました。

2000年に有志とともに、飯田橋日本語学院を設立。2008年は個人事業として引き継ぎ、同校代表。2012年4月、Be Uniqueとして法人化、代表取締役をなられてらっしゃいます。今現在、人材の紹介事業 Cotoワークも開始されてらっしゃり、日本語学校の、草分け的存在ともいえる社長様でいらっしゃいます。
本も出されてらっしゃいまして、「サバイバル日本語テキスト NIHONGO FUN & EAZY」という本も出されてらっしゃる社長様でいらっしゃいます。

では、最初のご質問です。ご出身は東京でいらっしゃいますか?

渡部:はい。えーと、生まれたのは東京で、8歳の時に埼玉県に引っ越しています。

新谷:小学校、中学校時代は、どんな幼少期をお過ごしになられました?

渡部:小学校の時は転校もしたりして、結構まじめな優等生キャラでいたのではないかと思います。中学校は当時、校内暴力とか、結構怖い先生もたくさんいたりして、割とこう、激しく反抗期を学校でやっていたような覚えがあります。

新谷:そうですか。あまり想像がつかないのですが、高校、大学も東京、埼玉でいらっしゃいますか?

渡部:そうですね。はい。

新谷:その頃はどのような学生をお過ごしになられたのですか?

渡部:そうですね、高校時代は結構、高校生を満喫していました。ラグビー部のマネージャーをやっていたりとかしていて。そうですね、高校生は、高校生らしく過ごしました。大学は、女子大だったのですけれども、体育会のなぜかテニス部に入りまして、あまりまじめにやっていなかったのですけど。あとはですね、中国に短期留学をしまして、それが結構大きかったですね。

新谷:そうですか。中国へ短期留学をされたときは、どんな思い出があられるんですか?

渡部:全国の大学生が20人くらい、寄り集まって行くような留学だったんですけど、非常に優秀な方が多くて、世の中にはこんな頭いい人がいっぱいいるのかと思って、すごくびっくりしました。

新谷:なるほど。その頃の思い出が、そのまま日本語学校に繋がっていくのでしょうね。

渡部:そうですね。日本語学校、日本語教師っていう仕事をしたのが、大学の後半だったのですけど、高校時代から何となくですね、ちょうどバブル期が高校の後半くらいだったので、テレビでジャパンバッシングとか、日本の旗を燃やされたりとか。

そういうのを見たり、社会科の先生は結構そういう、なんというのですかね、リベラルな考え方の先生が多かったので、色々影響を受けまして。なんとなく日本について、考えたりとか。世界の方にもっと、日本について知ってもらいたいなとか。そういうことを考えていた高校時代でした。

それで、大学でそういう日本の文化ですとか、歴史とかを勉強したいなと思って、勉強をして。それから色々考えた結果ですね、勉強としてなんとかっていうよりも、自分自身がひとりの日本人として、世界中の人となるべくたくさん会ってですね、交流を深めていくというのが、日本を知ってもらうという一番いい方法なんじゃないか、みたいなところへ、大学の後半にたどり着きまして。

その段階で、日本語教師という仕事を知ったので、あ、これだ。ということで。当時は、そうですね、中国が好きで何回も行っていたので、最初は中国で日本語教師をやろうと思って行ったのですけれど。なかなか私の中国語も伸びずに、結構大変で。最終的にはタイにちょうどポジションがありましたので、行ったというのが最初のキャリアになります。

新谷:そうですか。ご就職されるタイのほうで、日本語教師として就職をする、ということでいらっしゃいますね。それでは、なぜタイを選ばれたんですか?

渡部:えっと、ぶっちゃけ、タイで求人があった、みたいな。

新谷:なるほど。

渡部:直前にベトナムに行く予定があって、ベトナムに行くつもりで色々準備していたんですけど、直前にキャンセルになって……。じゃあ、こっちのタイにいく? みたいなことを就職課の方に言われて、じゃあそうしますみたいな感じです。

新谷:なるほど。渡部社長らしい、きたものを全部受け入れるみたいな感じですね。
タイに行かれた後、日本に戻られて、リクルートに就職されてらっしゃるのですが、これは何か理由があられるんですか?

渡部:そうですね。最初タイに行った段階では、このまま海外で日本語教師を続けたいなと思っていたのですけれども。タイで1年して、見て感じたのは、大学とか、企業さんで教える機会が多かったのですけれども、私自身、まったく社会経験がなかったので……。
いわゆるその、企業の役員クラスの方を教えたりだとか、そういう時に、非常に自分自身の未熟さを感じることが多くて、このまま先生だけを続けていくというのはどうなのかな、という風に考えるようになりました。

なので、若い時に経験をしておくべきことはしておきたいと思って。一度帰国して、まず最低3年は社会経験をしようということで、しかもやるんだったらちょっと厳しい仕事をしたいなということで、営業職で探していたところ、たまたまリクルートのほうで、声を頂きましたので。入社を致しました。

新谷:なるほど。1回、日本語教師からリクルートのほうにいって、また戻ってくる。と、こういう歴史でいらっしゃるわけですね。

渡部:はい。

新谷:リクルートでの思い出って何かございますか?

渡部:リクルートは面白かったですね。面白かったというか、仕事に行ってみたら、夜9時くらいになっても全然社内の風景が変わらなくて。それにすごくびっくりしまして、本当に9時なのかな、時計が壊れたのかな、と思うくらいみんな普通に仕事をしていたのが、まず最初に印象に残りました。

それでですね、すごく面白かったことが、一人一人がとがっているというか、リーダークラスとマネジャークラスのやりとりとかも、聞いていてすごく勉強になることもありました。そこでの3年間がなければ、今の自分はないなと思うくらい、本当に勉強になりましたね。お世話になったマネージャーさん達も皆素晴らしくて、非常に鍛えてもらったなと感じています。

新谷:営業成績もよろしかったということをお聞きしているのですが。

渡部:そうですね。結構よかったと思います。聞かれていたらいやですね。

新谷:そうですか。いやいや、元上司さんの方々が大変喜んでらっしゃるという風に思いますけれども。3年間リクルートにお勤めになった後、日本語学校を立ち上げてらっしゃるんですけども、3年でスパっとやめられたんですか?

渡部:はい。3年でスパっとやめました。

新谷:それは、3年と決めていたからですか?

渡部:3年はやろうってまず決めていたのと、本当にタイミングとして、当時ボランティアを一緒にやっていた、代表の方が、渡部さん一緒に学校やらない? みたいな感じで声をかけられたのが丁度その時期だったんですね。それで、本当に迷いなくやめたという感じです。

新谷:リクルートの元上司の方々、大変反対されたんじゃないですか?

渡部:そうですね。結構いやなタイミングで、やめてしまったなと思っています。当時の直属の上司も今リクルートにはいないんですけれども、嫌がられながらというか、ちょっとご迷惑をかけてしまったなという風に、今でも反省しております。

新谷:ご成績が良かったので……。

渡部:そうですね。新規事業の提案をしていたんですね。事業部として、新規でこういうことやったらどうだみたいな提案をちょうどしていた時期だったので……。

新谷:なるほど

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プロフィール

渡部由紀子
株式会社 Be Unique 代表取締役


大学卒業後、バンコクで日本語教師として勤務。帰国後は(株)リクルートでの営業職をしながら、週末にボランティアで日本語を教える。そのグループの仲間と 2000 年に現在の Coto Language Academy の前身となる Iidabasi Lanuage School を設立。

2012 年に株式会社 Be Unique として法人化。現在代表を務める。2016 年より日本で働きたい海外にバッググラウンドをもつ人材と、グローバル化を目指す日本企業の発展に貢献すべく人材事業 Coto Work を始める。

http://cotowork.jp/