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第1回 平野敦士カール氏(ネットストラテジー 代表取締役)【前編】

更新日:2017年06月23日

記念すべき第1回の番組では、株式会社ネットストラテジー 代表取締役社長 平野敦士カール氏に出演いただきました。
ベストセラー「プラットフォーム戦略」の著書であり、
「ビジネス集中講義シリーズ」など、経営者必読の本を多く執筆されています。
そんなカール教授の生の声が聴けるインタビューは
経営者の皆様にとって多くのヒントを得ていただけることと存じます。
 

第1回 平野敦士カール氏(ネットストラテジー 代表取締役)【前編】新谷:本日より社長様のインタビューをこのpodcastを通じ、流させていただきます。WizBizは全国16万人を超える経営者向けに情報発信をしている、経営者向けネットメディアです。
常日頃社長様とお会いすると、社長は孤独だ、社長は1人悶々と悩むもの、どう決断すればいいか社長として悩むといった声が多く聞かれます。

その答えを出すためにお仲間の社長のインタビューを流すことで、一条となればと思い、この社長に聞く、インWizBizを始めさせていただきます。
多くの社長様、社長を目指される方、役員幹部の皆様にお聞きいただき、社長業とは何かを考えていってほしいと思っております。是非お聞きください。何卒よろしくお願いいたします。

新谷:本日より社長に聞く、インWizBizを始めさせていただきたいと存じます。多くの社長様にインタビューをさせていただくことで、視聴者の皆様にご参考になればと思い始めさせていただいております。よろしくお願いいたします。栄えある1回目は、私が大変尊敬している平野敦士カール教授です。本日はよろしくお願いいたします。

平野:はい、よろしくお願いいたします。

新谷:まずは経歴をご紹介させていただきます。東大経済学部を卒業後、日本興業銀行にお勤めになられ、その後NTTドコモに移られ、iモード企画部担当部長をされ、iモードを立ち上げられました。

その後ハーバードビジネススクール教授陣と株式会社ネットストラテジーを創業し、かの有名なプラットフォーム戦略をお書きになっている先生が平野敦士カール教授でございます。それではちょっとまずご質問をさせていただきたいなと。

では経歴のほうからなのですが、麻布東大から通常だと官僚とかに目指されるのではないかなと思ったのですが、何か日本興業銀行にご入行された理由はあられたのでしょうか?

平野:大学で、この間先々週亡くなられたのですけども、貝塚啓明さんという教授、東大名誉教授なのですけども、その方のゼミに入っておりまして。その方が金融財政の日本の大家だったのです。そういう意味では金融論をずっと大学の時から勉強しておりましたので、金融に行こうかなと。
同じ私のゼミの同期が14人ぐらいいるのですけれども、うち11人が金融に行きまして、興銀も3名ですかね。あと日銀とか大体銀行が多かったのです。それがあって、興銀。当時は天下の興銀と言われていましたので興銀に行ったと、そういう経緯でございますね。

新谷:なるほど。じゃあ金融分野で活躍しようというのが本当は1番最初だったということですね?

平野:正直に言うと、あんまりよくわかっていなかったですね。

新谷:そうなのですか。

平野:何がやりたいのかなというのもあまりなくて、何となく就職をしなければいけないと。初めは大学院に行くことも考えたのですけども、父が大学の先生だったので、医学部だったのですけども。でも一旦はちょっと世の中を見てみようと思いまして、何か特定の業種に絞るということができなかったのです。もちろんその時に、銀行以外にもJALさんとかも受けたのです。結局JALさんは組合が強すぎるということでやめて。
ただ夢があったので、私自身はJALに行きたかったのですけども、でも最終的には興銀が1番いろんなことができるのはないかと。特に業を興すというか、興業銀行ですので、その何か産業を興すというところに非常に魅力を感じて、興銀マンになってしまったということです。

新谷:ありがとうございます。その後興銀を辞められて、NTTドコモのほうに移られてiモードの立ち上げをなされていらっしゃいますけども、何か興銀を辞められた理由とかあられたのですか?

平野:そうですね。興銀では、主にプロジェクトファイナンス、投資銀行業務ですね。それから国際業務の本部に長くおりましたので、ずっと本店におりました。最後は、大蔵省の関係の仕事もやらさせていただきまして。そういう中で非常に停滞している状況がありまして。ある程度新しいことをやりたいなと思って。正直に言いますと、当時アメリカも、某有名投資銀行のほうに内々定をいただいていたのですけども。ただドコモが、ちょうど公募だったのです。全くの公募で人を募集しているということだったので、当時まだ携帯電話というのが普及し始めた間もない時だったのです。ちょっと金融はもうある程度自分の中ではやり尽くしたなと思いまして。大体7年ぐらいやると飽きてしまう性格なのです。ちょうど14年近くおりましたので、じゃあ何か違うもう1つ自分のメジャーというか、専攻を見つけたいなと。それを掛け合わせたらば面白いことができるのではないかなと思いまして、あえてドコモに行ったと。

ただたまたま初めは投資を担当する部署にいまして、ほとんど新しい…経営企画部というところがあったのですけど、そこからちょうど分かれたばかりの投資などを担当する部署に行ったのですけども。ちょうどiモードが2月。私が1999年の5月にドコモに入ったのですけども、2月にスタートしておりまして、その関係で、ちょうどiモードが始まって3か月ぐらいですかね。ですから立ち上げというよりは、なかなか立ち上がらなかったのです。ですので、その時に初めは投資という形でお手伝いをして、その後iモード企画部のほうに移りまして、担当部長ということでおサイフケータイの普及とか、あるいはベンチャーへの投資などもやっておりました。

新谷:ちょっと前のほうのお話に戻りますが、MOF担だったということでいらっしゃいます?

平野:MOF担とは言っちゃいけないことになっているのですけど。

新谷:そうなんですか。大変失礼いたしました。

平野:今は財務省ですけども、当時大蔵省のほうが、金融庁ですかね。銀行の不良債権の査定を行っておりまして。国内部隊が一応MOF担というのがおりまして、私は投資銀行グループというのがありまして。M&Aとか、プロジェクトファイナンスとか。そういった部隊の全体の取りまとめを担当常務と2人で担当しまして、それをまとめて大蔵省に出すという形の担当でした。

新谷:通常銀行で考えられると、いわゆる大蔵省担当部門ということは頭取候補でいらっしゃるはずなのですけども。

平野:そういう人もいたのだと思いますけども、ただ私の知り合いはほとんど皆辞めちゃいましたね。

新谷:そうですか。

平野:実態がわかるのですよね。不良債権がこんなにあるのかというので。私の知り合いの優秀な方も、先輩なんかもMOF担で皆さんお辞めになられたと。

新谷:なるほど。私も銀行コンサルタント出身なので、よく知っていますものですから、ついついお聞きしたくなってしまいましたが、じゃあ元に戻します。iモードのほうをもうちょっとだけお教えいただきたいなと思いますが、iモードの開発をやられたのは何年ぐらいのお話ですか?

平野:先程申しましたように1999年の5月に入社をいたしまして、初めはいわゆる企画部隊におりまして、その後iモードと一緒にという部隊があり、そこと一緒にiモード成長戦略というのを作成するプロジェクトチームがあったのです。それはボストンコンサルティングさんと一緒にやっていたのですけども、6〜7人ぐらいのグループで。そこで例えば会員が一千万人いたら広告をやろうとか、そういう…。

初めは百万人いたらやろうという話だったのですけど、結局できたのは一千万人いった時になっちゃったのですけども。そういった例えば電通さんと一緒に会社を作ったりとか、あるいはいろんな会社に投資をしたりとかいうところからiモードには絡んできて、途中で1年半ぐらいしたところでiモードのほうに移って、iモード自体の成長戦略の企画を行ったということです。

新谷:iモードの開発というか、商品開発をされていらっしゃって、時代を感じたり、未来を感じたりとか、そういうのはいろいろと感じられたことは覚えていらっしゃいますか?

平野:そうですね。やっぱりまさにそのプラットフォーム戦略に出てくる話なのですけども、当時はポータルなんて言い方をしていたと思うのですけども、1番最初はiモードが出た時に公式サイトというのはあんまり数がなかったのです。
お願いに行って、何とか出してもらうという形だったのですけども、ほとんど無料で皆さんやっていただいたのです。その時に思ったのが、やっぱりこのリスクを一緒に取ってくれる企業、これをいかにその方々に成功してもらうかと。
これがやっぱり1番重要だなというのをそこですごく学びました。

その後おサイフケータイが出た時にも、その普及を担当したのですけども、初めはほとんど断られたのです。ところが先方様の、例えばローソンさんだと当時新浪さんがまだ社長でしたので、非常に親しくさせていただいていたので、最終的にはもう泣き落としでお願いをしたという感じだったのですけども。やっぱりその使われるかどうかわからないものを投資を先方にもしていただく訳ですから、そこはお互いにリスクをシェアすると。
必ず成功させましょうという形での一体感みたいなのが、会社を越えて行うということの楽しさと大変さと両方を経験した感じがしますね。まさにプラットフォーム戦略だったと思いますね。

新谷:なるほど。その後かの有名なプラットフォーム戦略を著者として書かれていらっしゃいますが、このきっかけは何かあられたのですか?

平野:もともとその前に著者デビューというのはたまたま…。バンダイナムコの今社長ですけども大下さんという方と親しくさせていただいていて、その方とたまたまお食事のランチをしたのですけども、辞めた後。昨日出版社の社長とゴルフだったんですよねという話をされたので、平野さん本を書けばいいじゃないと、おサイフケータイとか普及させたし、クレジット。

おサイフケータイを作ったクレジット事業というのは、僕が発案をしたので。今はiDという名前になっていますけども、そういう話を書いたら面白いんじゃない?というふうに言われて。今は会長ですけども、当時ゴマブックスの社長だった嬉野さんをご紹介いただいたのです。初めにいただいたのが、アライアンス仕事術という本で、これは結構Amazonでも1位になって、そこそこ2万部強売れまして。そこでいろんなことを書いたのですけども、アライアンス企業とのアライアンスをどうするべきかみたいなこともそうですし、個人としてもどういうふうに人脈を広げるとか、勉強法とか。そうしたらばその中で1番皆さん読者の反応があったのが、自分をプラットフォーム化すると。プラットフォームを作りましょうというところがものすごく皆さん共感したというような声をいただいたのです。

それが基でなるほど、プラットフォームというものにやっぱり皆さん興味があるのだというところで。私はドコモを辞めて、実はアメリカのボストンにあるMPDというマーケットプラットフォームダイナミクスという、アメリカのハーバード大学の先生とかシカゴ大学の先生とかMITのスローンスクールというビジネススクールの学部長等が作った会社の実はシニアアドバイザーに2年ぐらいやっていたのです。

そこがまさにプラットフォーム戦略を研究している、コンサルティングファームだったのです。実はそのメンバーが12月に日本に来るので、また会って。これちょっと先出しですけど、実はそのメンバーが書いた新しい本を私また翻訳監修で来年出しますけども、それがまさにプラットフォーム戦略。自分がやってきた経験をどう理論化するかというところをMPDでのノウハウというものと一緒にして、日本に紹介しようと。それがハギウさんというハーバードの先生と一緒に教授になったという経緯です。ハギウもそのMPDのメンバーでした。

新谷:なるほど。このプラットフォーム戦略って誰でもできる戦略なのでしょうか?

平野:そうですね。まぁなかなか実際に成功するのは難しいというか、大変ですけども。ただ今非常にハードルが下がってきていると思うのです。
昔でしたら、イメージとしては銀座の4丁目の角に自分のお店を持つというのはなかなか大変ですけども、今はインターネットの世界で、しかも特に最近はワードプレスとかが出てきたので。もうワードプレスであれば、ニューヨークタイムズもワードプレスですから。同じようなツールを大企業でも個人でも使えると。そしてあとは人が集まるような場を作るというのはそれ程難しくはなくなっているというと。

そういう意味では誰でもできるし、今はプラットフォームとして成功している企業の多くも、ほとんどが部品。例えばAppleもパソコンメーカーでしたし。Microsoftなんかはソフト屋さんですよね。ですので、誰でもプラットフォームになっていると。Amazonももともとは本のオンライン書店ですよね、いわゆる。そこからプラットフォームになっていったので。初めからプラットフォームというよりは、むしろ途中からプラットフォーム化していったということだと思いますね。

新谷:なるほど。教授が見られていて、今後プラットフォーム戦略をやっている企業で、こんなビジネスモデル流行るのではないかなというふうに、注目されているビジネスはございますでしょうか?

平野:やっぱりCtoCで、シェアリングエコノミーって最近は言われていますけども、AirbnbとかUberとかですね。とてつもない時価総額で今度上場するという噂が出ておりますけども、1つ彼らがすごいのが余っているもの、皆さんが家に例えば使っていないもの。例えばゴルフバッグとかね。別に毎日使っていらっしゃいませんよね。そういうものを例えば近所の人に貸すとか、そういったものだけでももう1つの取引が起きる訳ですよね。そういう意味ではCtoCのプラットフォームというのは限りなくある訳で、本棚もそうですし、洋服ダンスもそうですし。あらゆるものが多分プラットフォーム化できるのではないかなというふうに思っていますね。

新谷:なるほど。では我々も是非プラットフォームを作って、頑張っていきたいなというふうに思っております。

新谷:本日はありがとうございました。本日のpodcastはここまででございます。また来週よろしくお願いいたします。

プロフィール

平野 敦士カール Carl Atsushi HIRANO 代表取締役社長

経営コンサルタント 株式会社ネットストラテジー代表取締役社長、社団法人プラットフォーム戦略協会代表理事。
麻布中学・高校卒業、東京大学経済学部卒業。日本興業銀行、NTTドコモiモード企画部担当部長を経て2007年ハーバードビジネススクールHagiu准教授とコンサルティング&研修会社潟lットストラテジーを創業し社長に就任。米国イリノイ州生まれ。ハーバードビジネススクール招待講師、早稲田MBA非常勤講師、BBT大学教授、楽天オークション取締役、タワーレコード取締役 ドコモ・ドットコム取締役を歴任。米国・中国・韓国・シンガポール他海外での講演多数。
著書に『プラットフォーム戦略』(東洋経済新報社)、「ビジネスモデル超入門」(ディスカヴァー21)『新・プラットフォーム思考』『シリーズ 経営戦略・ビジネスモデル・マーケティング・金融・ファイナンス』(朝日新聞出版)など多数。韓国台湾中国タイなど海外でも翻訳出版されている。