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指揮官の超マネージメント手法

更新日:2008年09月04日

東欧ユーゴスラビアで突発した民族対立、ボスニア戦争。セルビア人、ボスニア人、クロアチア人の三大勢力が争い、結果セルビア人が約4割の人口で約74%の領土を制した。常識を覆す組織・人材マネージメントでこの勝利に大きく貢献した弱冠23歳の天才的指揮官の足跡を追う。


突発した争いに勝つには、いかに初戦を制するか

優秀な人材を多く求めたいのは、ビジネスに限らず、組織的な達成を目指したい場合の共通したテーマだが、そう簡単にはいかないのが現実だ。そこで、東欧のユーゴスラビアが崩壊していったボスニア戦争のなかで起こっていた事象に焦点を当ててみたい。セルビア人、ボスニア人、クロアチア人という3大勢力の民族が混住したまま民族対立および地域対立の戦争に突入したボスニア・ヘルツェゴビナ共和国。紛争勃発によって、市民たちが、突然、銃を手に戦わざるをえない事態になったのだ。

ここでそれぞれの民族勢力の急務となったのが、一刻でも早く、普通の一般市民を戦える兵隊に作り変え、さらには、組織行動、作戦行動のこなせる軍人に育て上げることだった。この兵隊育成を先に達成した勢力が、戦争の初戦を圧倒的に有利に進めることができるのは、現地を見ている誰の目に明らかだった。敵が素人のうちに、自軍をプロにできてしまえばしめたものだ。

そして、結果を先に述べてしまうと、セルビア人が、この点では圧倒的な能力を発揮し、初戦を有利に進め、約4割の人口で、ボスニア・ヘルツェゴビナ全土の約74%を制したのである。

最前線に陣取る70歳の老兵と軍事教官でかつ戦闘指揮官のペーシャー。弱冠23歳

短期間で素人を戦力に変えた

北と南を敵に挟まれた幅約2キロメートルの回廊を守り通したセルビア人民兵部隊が、ボスニア北東部ブルチコという町にいた。指揮官のペーリッチ・ボシュコ・ペーシャーという23才の男は、「我々の100人の部隊は、確かに優秀だ。しかし、大切なことは、100人の強い兵隊ではなく、この町のたくさんの男を一定レベル以上の兵隊に短期間で訓練したことだ」という。特殊部隊養成学校を卒業しているペーシャーは、民族戦争が激化するのを察知して、ブルチコの町の一般市民たちに軍事訓練を施した。

兵隊の訓練というと、足腰の鍛錬など体力作りから始まるというイメージがあるが、ペーシャーは、足腰の弱い老兵には射撃だけを教えた。拠点防御要員である。射撃ができれば、走れる必要はない。武器や装備のメンテナンスも覚えなくていい。一方、走れる兵隊、メカ知識のある兵隊は別で養成する。つまり、1人の兵隊になんでもできる完全さを求めず、適材適所としたのだ。老兵の撃った弾も、屈強の精鋭兵士の撃った弾も、敵に当たりさえすれば殺傷力は同じだ。最前線の守りが必ずしも屈強な兵士である必要はない。

そして、武器弾薬や食料などの補給は、屈強な若者で編成される戦車部隊が行なった。こちらのサポート任務のほうが、敵弾飛び交う中を走り回るハードで危険な任務であるということは、戦場を知っている者ならわかっている。

命がけの率先垂範

しかし、ボスニア戦争開戦2年半目の1994年10月、ペーシャー隊長は、戦死してしまった。副官は、「ペーシャーは、戦闘指揮官としても優れていたが、教官としても優れていたので、前線へ出て死んでほしくなかった。もっと、民兵をたくさん育成してほしかった。しかし、彼は、自分の教え子が危険な戦闘に出るときは自分も出る、生徒たちだけを危険に晒すわけにはいかないといってきかなかった」と残念がっていた。

充分な時間をかけて恵まれた環境で準備万端整えて戦える場合と、不完全なままでも即決即行が大切なケースがある。そして、多くの場合、その二者択一というほど単純ではなく、両者をどうバランスよく取り入れるかが求められる。

もしペーシャー部隊が、即行だけを重視したら、屈強な自分たちだけで戦って初戦は勝ったかもしれないが、ペーシャー部隊の手が届かない戦線では崩れたかもしれない。民間人の訓練をしなければならないという長期視点がありつつ、最速で目的を達成できる道を選んだ。「走れなくてもいい、体力なくてもいい」というスタイルで訓練を始めた結果、老兵までも戦力にすることができた。

新兵には全員統一の基礎訓練から始めさせるという軍隊の共通認識をひっくり返し、適材適所式の訓練と編成を行なった。差別をしない全員統一というのは、団結や忍耐力などの精神面で、軍隊教育として大切なのだが、短時間で目的を達成するために、あえて、それらを犠牲にした。その犠牲にした部分を補ったのが「ペーシャー自らが危険な戦闘に出て示す」という行動だった。

「ペーシャー自身が戦闘に出なくても済むほど成熟した部隊ではないということを感じていたのだろう」と第2代指揮官に就任した元副官は語っていた。

写真・文 加藤健二郎

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