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今日は何の日 11月28日

更新日:2010年10月21日

 

1263年―親鸞(享年89歳)没す

病に伏していた浄土真宗の開祖が、京都・三条富小路の善法坊で入寂した。正午から午後2時までの間といわれている。不合理な呪術的信仰を否定したために、その教えは民衆の心を捉えたとはいい難い。しかし、孤高の思想家として知識層には理解された。親鸞の遺言は「某(それがし)閉眼せば加茂川に入れて魚に与うべし」。

1924年─孫文の『大アジア主義』

来日していた中国の革命家・孫文が神戸高等女学校の講堂で「大アジア主義」と題する講演を行った。アジアの王道と西洋の覇道を対比し、欧米の手先となって覇道に走りつつある日本を批判。日本が「東方王道を守る干城(盾や城となって君主や国家を守る軍人や武士)」となるよう問いかける内容だった。この翌年3月、孫文は他界。

1950年―マッカーサー胸像除幕

GHQのマッカーサー元帥は駐留軍の最高司令官であるにも関わらず、不思議と日本人に人気があった。この日の午後2時半、日本橋三越ホールで川村吾蔵作マ元帥の胸像の除幕式が始まった。この胸像、日展に出品されて日本人に人気を博していた作品で、シカゴの陸軍士官学校に寄贈される前のお披露目となった。

1957年―大毎オリオンズの誕生

この日、毎日オリオンズは成績が低迷していた大映ユニオンズを吸収合併して、毎日大映球団・大毎(だいまい)オリオンズが発足することになった。オーナーは大映社長の永田雅一、監督は毎日の監督だった別当薫が就任した。これで、パ・リーグも6球団制となった。この球団は千葉ロッテマリーンズの前身である。

1966年―三島、屈辱の和解

三島由紀夫の小説『宴のあと』が東京都知事選に出馬して落選した有田八郎元外相とその妻をモデルにしたものだとして、有田が提訴した裁判が和解した。日本初のプライバシー裁判と呼ばれたが、一審の東京地裁では三島敗訴。この和解は、芸術的表現の自由を主張した三島にとって屈辱的な結果となった。

1985年―白洲次郎(享年83歳)没す

終戦直後、吉田茂の右腕としてGHQとの折衝にあたった戦後日本の立役者が死去。17歳から9年間、英国のケンブリッジ大学クレア・カレッジに留学して英国流の紳士道を身に付ける。戦時中は、日本の敗戦を見越して東京郊外の鶴川(現・町田市)で農業に従事。遺言は2行のみ。「葬式無用、戒名不用」。