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今日は何の日 11月24日

更新日:2010年10月21日

 

1733年―富くじ興行の許可

この日、幕府は江戸・谷中感応寺に富くじの興行許可を与えた。ただし3年間、年間6回の制限付き。富くじは寺社が再建や改修の資金調達のために18世紀初め頃から行なわれていたが、幕府は一旦禁止とした。しかし「制限付きで認める」と方針転換。谷中感応寺に次いで、目黒不動尊瀧泉寺と湯島天神喜見院にも許可することに。

1936年―光発売

専売局(現:日本たばこ産業)が両切りたばこ「光」(10本入り10銭)を発売した。
このたばこ、商業デザイナーの草分けとして有名な杉浦非水(ひすい)がデザインした洒落たパッケージだった。ところが国の象徴である太陽に雲のかかる図柄が右翼団体から批判され、雲の位置を移動しての再販売となった。

1943年―タラワ、マキンは全滅

太平洋・ギルバート諸島のタラワ島、マキン島は日本海軍が「絶対国防圏」と位置づけて要塞化していた。しかし21日早朝、両島を攻略するために米軍が上陸を開始。そしてこの日、4日間の激闘の末に米軍は両島の全島を制圧し、日本軍は全滅した。タラワ島では約4600人、マキン島では約590人の日本兵が命を落としたとされる。

1944年―辻潤(享年60歳)

評論家の辻潤は、妻の伊藤野枝を友人の大杉栄に奪われ、以降ダダイズムの旗手として評論活動を行なった。その生活は天衣無縫とも奇行ともいえるもので、それゆえ萩原朔太郎などある種の人たちには信奉された。精神に異常をきたして斉藤茂吉の病院などに入院。その後、全国を放浪して最後は餓死した。

1949年―光クラブの挫折と死

現役東大生の山崎晃嗣(あきつぐ)が始めたヤミ金融「光クラブ」の資金繰りが悪化して、この学生社長は青酸カリをあおって自殺した。10万円をもとでに始めた会社は高金利と強硬な取り立てで月商5000万円に。しかし銀行法違反容疑で検挙されて信用は失墜。3000万円の債務を抱えて社長室で命を絶った。

1978年―大松博文(享年57歳)没す

日紡貝塚女子バレーボール監督として猛烈な訓練をした「鬼の大松」。東京オリンピックでは「東洋の魔女」を優勝させた大監督だ。その名声を武器に1968年の参議院選挙で当選するも、次の選挙ではやっぱりの落選。その後ママさんバレーのコーチをしていたが前日に心筋梗塞の発作を起こし、この日死去した。

鰹節の日

「いい(11)ふし(24)」の語呂合わせで、鰹節メーカーのヤマキ株式会社が制定。鰹節をもっと知ってもらおうという思いが込められている。鰹節といえば、いまやパック入り削りかつおが定番。しかしフィッシュロックバンド『漁港』は「…削れ削れかつお節、自分で削りな」と熱唱、鰹節回帰に一役買っている。