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今日は何の日 11月2日

更新日:2010年10月19日

 

1874年―読売新聞の創刊

この日、東京・虎ノ門で大衆啓蒙紙「読売新聞」が創刊された。名前の由来は江戸時代の「瓦版読み売り」。漢字にはルビを振ったので読みやすく、発刊当初は隔日発行(200部)だったが翌年には日刊化されて1万部を超える伸長ぶり。初代社長はのちに日銀の初代監事になる子安峻(こやす・たかし)。

1940年―国防色の国民服制定

この日、大日本帝国国民服令が公布施行された。国民の服装が欧米を模していて自主性に乏しいので、「新服装文化を確立」するためだという。「軍服に転用できる」もので「国防力の充実に寄与」できることが条件で、制定された国民服は国防色(カーキ色)。しかし人気はさっぱり。国民服が普及するのは空襲が日常化する1944年末頃になる。

1945年―日本社会党、誕生

この日、東京・日比谷公会堂で日本社会党の結党式が行なわれた。当面の課題は食糧問題。小作料の引き下げ・開拓地の解放・化学肥料年産300万トンの国営生産の即時断行などの決議書が満場一致で採択された。この時代、戦死や抑留などで農村から働き手の男性が減り、土地も痩せて生産量が低下していた。

1956年―サントリーの全面謝罪

この日、寿屋(サントリー)が萩原朔太郎の有名な「旅上」の一節を作り変えた宣伝コピーを新聞広告に掲載した。「せめては新しき背広を着て」の部分を「せめてはトリスなどを持ちて」にしたから困ったことに。朔太郎の長女である作家の萩原葉子が提訴。寿屋は全面謝罪して損害賠償金を払うことで決着した。

1957年―徳富蘇峰(享年94歳)没す

偉大な歴史家・徳富蘇峰(蘆花の兄)は『近世日本国民史』(全100巻)を55歳から書き始めて89歳で書き終えた。蘇峰は皇室中心主義者だったために、戦後はその労作を無視されて知名度は低い。しかし「文藝春秋」の大正13年度「文士長者番付」では『真珠婦人』の菊池寛を抑えて堂々第1位の寵児だった。

1959年―水俣で衆議院の現地調査

この日、衆議院水俣病調査団(団長・松田鉄蔵)の17名が現地調査のために熊本県水俣市を訪れた。被害を受けている漁民や住民は、水俣病の原因は新日本窒素(65年1月「チッソ」に社名変更)水俣工場の廃液だと訴えていた。しかし救済策はとられず、患者らは健康・生活不安を解消してほしいと調査団に直訴した。

1973年―トレペ騒動

トイレットペーパーを買おうと約200人の客が殺到した兵庫県の灘神戸生協(現コープこうべ)で、83歳の女性が押し倒されて左足骨折の大けがを負った。当時、商社の売り惜しみや買い占めで紙不足がおき、売り手市場に勢いづいた商社は値上げを続けた。こんな状況から学んだ消費者は、トレペの品不足と価格高騰を予想して買いだめに走った。